ちょっと寄り道しませんか?

愚痴や気が付いた事等を書いていきますのでちょっと寄ってってね♪

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目的地も近いよ!

今週も月曜からお暑いですね~
我が家は虫除けにハッカ油を薄めて
霧吹きで部屋中振り撒き始めたので
ミントの香りが涼しい~~~♪

浄閑寺でご朱印を頂いて
目的地を目指して歩いていくと
途中で鷲神社(おおとりじんじゃ)へ
ちょっと寄り道しながら
こちらでもご朱印を頂いて参りました

鷲神社

こちらはあの!「お酉様」なんですけど
この「酉の市」って都内限定??

こちらの鷲神社と新宿の花園神社と
私の生まれ故郷にある葛西神社でしか
やらないみたいですけど(違うかな?)

昔日テレで「ズームイン!朝」をやってた頃
毎年「酉の市」の時には
専用の熊手を買っていたし
私が子供の頃にも見に行ったりしたので
てっきり全国規模の行事と思ってましたが・・・
違うみたいなんですよね~

鷲神社のご朱印を頂いたら
いよいよ目的地に近くなって来ましたよ~!

つづく

| 歴史斜め読み | 22:27 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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美しいご朱印

関東は梅雨入りも間近みたいで
はっきりしないお天気が続きましたが
明日は晴れるかな~?

回向院の次は三ノ輪方面へ向かって
線路伝いに歩いて行くと次の目的地
浄閑寺に到着です

こちらには永井荷風の筆塚があります

DSC_0453.jpg

それと有名なのが

DSC_0456.jpg

この石碑の言葉でもお分かりのように
こちらは吉原のお女郎さんたちの所謂
投げ込み寺だったんですね

DSC_0457.jpg

こちらも線路沿いなので少しだけ車窓からみえますから
一度お参りに着たいと思っていたんです

それとこの近くは「山谷」のドヤ街
昔は日雇いの人たちが多くタムロしていて
身よりも無く亡くなった人たちのために
ひまわり地蔵尊が建てられたそうです

DSC_0454.jpg

DSC_0455.jpg

そんなに広い境内ではないので
一通りお参りも済ませて少し待っていると
出来上がったご朱印がこちら!

浄閑寺

ご朱印がお女郎さんになっているんですね

次の目的地に進む為に
大関横丁から南に向かって
国道沿いに歩いていきましょう!

つづく

| 歴史斜め読み | 22:40 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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下町の歴史を訪ねて

早い物で5月も後二日しか残ってませんが
GW後半に行って来た所のお話が
そのまま残ってしまったので
少しずつお話していきたいと思います

5月4日の金曜日
じぃちゃんがデイに行った後で
ねーねとにーにを連れて常磐線に乗って

まず降りた所は「南千住」駅
こちらの駅前にあるのが有名な「回向院」
領国にある回向院の別院なんですけど
何が有名か?というと
江戸時代に「小塚原」(こづかっぱら)と呼ばれた
処刑場があったところなんです

今回は下町界隈の寺社仏閣を散策して
ご朱印をたくさん頂いて来よう!という趣向なので
早速中に入ってみると・・・・・

「ご朱印は土日祝日は混雑を避けるために
お休みさせていただきます」との張り紙が!

まぁ、仕方ないですね~
でも平日も午後5時には受け付け終了みたいなので
私はこちらのご朱印は頂けそうにもありません

開始早々に出鼻を挫かれた感じは否めませんが
気を取り直して次に進みます!

それでも超肥満の二人を従えて
無事に歩いて目的地に着けるでしょうか?
そして最終目的地は一体どこ??

つづく

| 歴史斜め読み | 20:52 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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明治百五十年

関東は昨日の午後から強風が吹いて
荒れ模様の週明けとなっております

大河ドラマの「西郷どん」も江戸に出てきて
いよいよ明治に向かって動きそうですね

明治といえば今年は「明治150年」だそうです
そこで(え?)予てから気になっていたアノヒト!
いつも見に行こうと思っていても途中で迷子になって
その場所すらあやふやだったんですが
遂に!というかやっと辿り着く事が出来ました!!









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| 歴史斜め読み | 19:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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王朝の母?~橘三千代~

フィギュアスケート男子で羽生選手が金メダ
宇野選手が銀メダルという快挙で
益々盛り上がって来ていますね~!

文武天皇亡き後を継いで母の元明天皇の孫である
首皇子のオクガタにはわが娘安宿媛ですから
いよいよ「我が家の時代」到来ですが
ここで大ドンデン返し!?w(゚o゚)w
まさかの元正天皇の登場で暫くオアヅケです

それでも三千代は不比等が亡くなってしまっても
藤原家の屋台骨が揺るがないように
不比等の息子たちと共に後の文武天皇と
娘の安宿媛を支えていきましたヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
おかげで皇族出身でなければなれなかったのに
半ば強引に初の藤原家出身の皇后にしました

何故こうまで「橘氏」ではなくて
敢えて「藤原氏」をバックアップしたんでしょう?

既に朝廷においてそれなりの地位を築いた藤原氏の方が
頼りになると考えたんでしょうか?
でも息子の諸兄も文武朝廷では大臣になっていますから
どっちに権力が行っても「自分の身内」若しくは
それに近い間柄・・・という訳なんでしょうかね~
本当に抜け目のない人だと思います

その後の藤原氏の派手な様子に比べて
中々目立たない「橘氏」ではありますが
それなりに歴史に影響を与えていますから
やはり三千代さんは侮れません!
ある意味「日本の礎」を築く事に
かなり関与していた人ではありますね~(#^.^#)

物凄い駆け足ですけど
私にとって橘三千代の人となりが
少し見方が変わった???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

いや!やっぱりちょっと苦手だわ!

| 歴史斜め読み | 00:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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真相は謎!?~橘三千代~

何だか今月は慌しいと思っていましたが
2月は日にちが少ないからそう感じるんでしょうか?
それとも歳を取ると月日の経つのが速く感じるから??

不比等の娘・宮子が皇子を産んだ後で
何故か心的障害に陥ってしまい
長いことわが子にも対面しなかったとか・・・

穿った見方をすれば「幽閉」されていたのかも??
という説も有るような無いような。。(*`・з・´)ドッチダヨ!?
当然ながら真相を知っている人は誰も生きていないので
人それぞれの解釈があって良いとは思います
彼女が元気では都合の悪い人も・・・ゲフンゲフン!

それはさて置き(え?)首皇子はいわば
藤原氏出身の娘が産んだ子で
それまでの天皇は母方が皇族であるというのが
即位するときの重要条件だったので
異例の出来事なんですね~

正式な皇后(皇族出身が条件)が居なかった(こちらも諸説アリアリ)文武天皇には
藤原氏出身の宮子の他のオクサマとしては
石川氏出身の刀子娘と紀氏出身の竈門娘が居ましたが
二人とも理由は分かりませんが
突然その地位を剥奪されてしまいました

因みに藤原宮子は「夫人」で後の二人は「賓」
位の順で言えば「妃」「夫人」「賓」と続きます

どうしていきなりそんな暴挙(?)に出たか?というと
やはり刀子娘が産んだ二人の皇子に対する牽制でしょうね
位は宮子の方が上でも石川氏は持統天皇の祖父に当たる
倉山田石川麻呂と遠い血縁でもあったのかもしれません

この処遇に関しては三千代も何らかの形で関係ありそう
だってライバルの皇子が居なくなってしまえば
跡を継ぐのは宮子が産んだ首一人!
しかも乳母は自分!
自分が産んだ娘も一緒に手元で育てれば
いずれはおキサキの一人に上げる事も出来る!!
何て磐石な布石でしょうね~
自身の出産さえも武器になるとは運が強いとしかいえません!

こうして長年皇室に仕えたご褒美として頂くのが「橘」の姓です
ですから正式には 「県犬養橘三千代」という
長ったらしい名前になったんですね~

余談ですがこの時代に天皇から姓を下賜されるというのは
それはそれは名誉な出来事でしたので
前夫の美努王との間の子である葛城王と左為王も
後々「橘」の姓を名乗っていますね

さ~いよいよ橘三千代として忙しく立ち回り
まさに「わが世の春」といった時代がやってきそうです!



つづきはまた!

| 歴史斜め読み | 12:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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なんという間違い!~橘三千代~

昼間は暖かくなりましたが
夜になって大分寒くなりましたね~
春はまだ遠いんでしょうか・・・

昨日始まった久し振りの歴史話に
とんでもない間違いがありました!
それは・・・当の人物の名前!
橘三千代さんが正しいんです!
決して美千代さんではありません!スミマセン!

正しい名前を表記出来たところで早速昨日の続きを。。

夫の美努王と疎遠になった後で
美千代の新しい夫となったのは・・
藤原不比等です
藤原氏の祖である鎌足の息子
壬申の乱の時には父の鎌足はもう故人でしたが
一族は当然ながら反天武側だったので
字際に戦に参加しなかった不比等も
それまで中々表舞台で活躍出来なかったでしょう
ここで天皇家の乳母である女性と結婚すれば
一気に逆転できるだろうと考えたのでしょうか?

三千代としても天皇家の中で働けるとはいえ
家柄的にその身分には限度があったでしょう
元夫の美努王は天皇家の血筋とはいえ
主流からは外れていた事でしょうし
野心満々の不比等と組んだ方が
三千代としてもメリットがあったのかもしれませんね
いずれにしても人を見る目は確かでしたね~!

三千代の後押しがあったかどうか
不比等はドンドン出世していきます
娘の宮子を文武帝の後宮に入れました

文武帝に男児の首(後の聖武天皇)が誕生した頃と前後して
不比等と三千代の間には女児が生まれました
後の光明皇后になる安宿媛です
これで二人はもう「勝ったも同然!」ですね!

当然のように生まれた皇子首にも乳母として仕え
益々天皇家からの信頼も厚くなってきた事でしょう
後は生まれた皇子が大きくなって帝位を継ぐのを待つばかり
そんな順風満帆な毎日ですがとんだドンデン返しが!Σ(ω |||)



つづきはまた!

| 歴史斜め読み | 21:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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