関東は春を通り越して暑いくらいの一日でした。

スーパーへ行っても暖房が入っていないどころか
何となく涼しい(?)店内でしたね~。
もしかして・・・・・
冷房???( ̄▽ ̄;)
妹のお江から養女を貰い受けて
徳川家との繋がりを持つだけでなく
姉お茶々を通じては太閤殿下と呼ばれた
秀吉に対していわばゴマすりのようなことをして
ちゃっかり
領地の加増をして貰ったり
自身のために
「化粧料」という名目の

財産までせしめてしまいます。

本当に
「口八丁」ですね。

少しは見習いたい物です(^o^;)
更には大坂方に嫡男の忠高を人質に差出したので
高次・お初夫婦は大坂方の味方と
お茶々も信じていたでしょう。

しかし、関ヶ原の戦いで高次は
参戦せず大津城に立てこもります。
人質まで差し出しておきながら何故でしょうか?

所詮忠高はお初の産んだ子供ではないのですから
敢えて人質にしたともいえるかもしれません。それに徳川方も「城の補修料」として
京極家に多額の援助をしている事もあって

天秤にかけた結果徳川に付いたのかも・・・?
関ヶ原の合戦では
西方のはずの武将が東方に寝返ってしまった事が
勝敗を左右したようですが

大津城に立て篭もった京極家も
その一因であった可能性もあります。

では全く
姉のお茶々を見限ってしまったか?というと
これが中々複雑な動きを見せてくれます。
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こんばんは
さんまの人生生きてるだけでまる儲けと同じで
利用できるものはせんと損ですが
えげつないのはイヤですね。
女性は本当に難しいなぁ。
どちらに付いた方が得か・・・天秤にかけるとは、さすがですね~
でも、やはり姉妹だからお姉さんと妹の間でいろいろ心を悩ませることもあったのかなぁ~、って思います。
複雑な女心ですねw
女性に限らず武将達でもこの時代は
「どっちが得するか?」駆け引きが盛んですね。
家康はその点を上手く利用したと思います。
「鳴くまで待とう」と言いながらも
水面下での動きは大した物です。
夫と違ってそういう「時」を読む力が
抜きん出ていたんでしょうね。
この後益々歴史に大きな影響を与えた!?と
ワタシは考えているんですけど・・・
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