蒸し暑い毎日が続いてますね~

このままだと
アイスクリームのように

溶けてしまいそうな気分です(;´д`)
一人娘の
阿倍が女帝として即位して

甥の
仲麻呂が権力を握り
藤原全盛期の足掛かりを担った安宿ですが
その胸の内はどんな様子だったでしょうか?

藤原氏出身とはいえ母は
橘三千代ですから
当然
橘諸兄とも兄妹の関係です。
聖武天皇存命中は
藤原氏と
橘氏が
権力を争った形になっているので
安宿にとってみれば
異父と異母の身内同士の争いともいえます。
当時の結婚形態は
「妻問い婚」で

生まれた子供は母の元で暮らす事から考えても
安宿は「藤原一辺倒」だったとは限りません。
これが娘の孝謙天皇の時代になると

初めのうちは藤原氏にべったりで
政敵諸兄が酒の席で愚痴をこぼしたのを逆手に取り
追い詰めて退任させてしまいます。
聖武天皇の遺品の一部を東大寺の正倉院に寄付したのも

夫が障害をかけて建立した大仏の側に
想い出の品を納めたかったのでしょう
安宿にとっては藤原氏よりも橘氏よりも
夫・即ち
天皇家が第一だったのだと思います。

因みに
「光明皇后」という名前ですが
光り輝く美しさからというのは

後の世の人が想像して付けたもので

元々は
「美しい人」という記述はありません。

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