じめじめベトベトの毎日ですが

今日は風も吹いていないので
寝苦しくなるのは 確定でしょう(;´д`)
いきなり
「東国へ」と都を飛び出した
聖武天皇ですが

東とはいっても精々
伊勢辺りまで。
ワタシが住んでいる関東なんて当時の人には
外国にも匹敵するくらいの遠方だったんでしょう。
そして放浪の末に向かった先は
恭仁京(くにきょう)です。
ここに新たな都を作ろうと思い立ちますが

この地は
橘諸兄(たちばなのもろえ・橘美千代の長男)の本拠地
藤原氏の手を逃れようとしても新たに別の手が・・・
結局恭仁京も出て次に向かったのが
紫香楽宮(しがらきのみや)で
この地に大仏を建立しようとします
光明皇后始め藤原の遺児たちも
気持ちは本拠地の平城京へ帰りたいと思っていたでしょう

その後
難波京(なにわきょう)への遷都が発表されますが

難波京へ向かう途中で急に具合の悪くなった
安積皇子が恭仁京へ引き返すして間もなく
急死してしまいました。
これは本当に病死なのか?
平城京へ帰還を狙った藤原一族の差し金なのか?
真相は
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確か・・・都を変えるたびに新しく建物を建設したわけでなく、そっくりそのまま建物を崩して新しい地に組み立て直したらしいという話をきいたことがありますが。。。。大変だったろうな~~!!と思いますw
でも、エコで経済的だったのかも。。。