今日は4月から小学校へ通うおねぇちゃんのために
ランドセルを見に行って参りました。
そこで気になる物が「残り3個」となっていたので
下見のつもりが急遽購入する羽目に・・・・
遊女が居る所を「遊郭」と呼びますが有名な所は
時代劇でよく出てくる江戸の「吉原」
朝廷のお膝元京都の「島原」
商人の町大阪にある「新町」
この三箇所を俗に「三大遊郭」
と呼んでいたそうです。
一説には長崎の「丸山」を入れて四大遊郭とも言われます。
今回ワタシが興味を持ったのは吉原ですが
多少の事情の違いはあっても
各地で実態にそんな大差は無かろうかと思っています。
まず吉原がなぜ出来たのかと考えてみると
徳川家康が江戸の町を整備するに当って
欠かせないのが人足達です。
人足達の仕事の合間の楽しみといえば
今のようにネットやゲーム
があれば違ったでしょうが
当時はそんな娯楽は全く無かったので
多分「博打と女」だったと思います。
需要があれば供給も伴ってくるのは
いつの世でも当り前の事ですね。
そして、江戸の町が完備された頃でしょうか
遊女達を一箇所に集めて管理するという事で
出来たのが「吉原遊郭」です。
今でこそ吉原というと「浅草」を思い浮かべますが
最初は何と日本橋にありました。
当時は日本橋も海に近くて葦(あし・よし)が群生していたそうです。
葦の生えている原っぱに出来たので
最初は「葦原」と言う字を使っていました。
その後浅草に移転して名前も「吉原」となり
ワタシ達が時代劇で見掛ける「吉原遊郭」になったのです。
続きは また。