女の幸せ―東三条院詮子―
我が家はお金も名声も
ありませんが
家族揃って日々を送れることが
一番の幸せだと思っています。
道長の時代の屋台骨を支えていたのは
この時期間違いなく詮子だったと思います。
一族に災いが起こらないように
政敵ともいえる人たちを懐柔したり
忘れ形見の子供の世話を買ってでたり・・・・・・
やっと道長の時代も軌道に乗ってきて
詮子自身も四十になりました。
勿論、数え年の四十ですから実際は三十代の終り頃ですね。
今ではまだまだ若いと思いますが当時はもう
初老と呼ばれる年齢でした。
日頃の恩顧を感謝する意味合いも兼ねて
道長が盛大に「四十の賀」というお祝いを催した矢先
詮子は病の床につきます。
慌てて一条帝がお見舞いに来た時には
もう臨終間近の状態でした。
その後の道長の栄華を見る事も無く
あの世へと旅立っていった詮子ですが
その一生は一家にとってはかけがえの無いものだったでしょうが
女として、妻として、母として見てみるとき
幸せと思っていたかどうかは
誰にも知る事は出来ません。
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| 歴史斜め読み | 12:14 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
その通り!
こんばんは
その通りですよ~
家族に一人でも病人が出ると悲惨
極まりないです。
父が結核で 当時は現在のように
薬も確立されていませんでしたから
父も ヤケッパチだったのでしょう・・・
父親の我侭には家族が泣かされました。
イェモン家の健康と幸せを願って。
| そらまめ | 2009/10/25 17:28 | URL | ≫ EDIT