昨日は思いがけず
加藤和彦氏の突然の訃報を耳にして
大きな衝撃を受けております。
本当に才能のある人が段々居なくなってしまう~~!
末弟の道長が権力の座につき
あまつさえ、強力なライバルであった伊周も
弟の隆家が花山院に狼藉を働いたとして
一族は没落の道を辿っていきます。
定子も兄弟を憚って形ばかりとはいえ
出家の意を表し、内裏から退 出。
形ばかりですが出家してしまいます。
その間隙を縫って道長の長女彰子(しょうし・あきこ)を入内させます。
残るは彰子を中宮の地位につけるだけですが
当時三后の地位には
太皇太后 昌子(しょうし・まさこ)内親王《冷泉天皇のきさき》
皇后 遵子(じゅんし・のぶこ) 《円融天皇きさき》
中宮 定子《一条天皇きさき》
基本的に皇后は中宮と同じなのですが
定子が入内した時には
太皇太后 昌子
皇太后 詮子《一条天皇の母》
皇后 遵子
と、三后が塞がっていたところを
皇后と中宮を強引に分けてしまっていたので
太皇太后 昌子
皇太后 詮子
皇后 遵子
中宮 定子
四后並立という変則的な形になりました。
後に詮子は出家したため、女院となり
皇太后の地位を退き
太皇太后の昌子が病死した事もあって
当時は二后のみとなっており
彰子の立后に支障はないと思われましたが・・・・
続きは また。