別に意識しなくても良いと思うのですが
若い頃は「偉い人」の前だと妙にオドオドしたり
「権力に弱い日本人」丸出しでした。 (今は年のせいか図太くなりました)
奈良を脱出しようと御所を出た矢先坂上田村麻呂が現れました。
こうなっては強行突破も出来ません。
相手は武勇で鳴らした田村麻呂です
平城上皇達は空しく引き返すしか術はありませんでした。
自分達の「負け」だと悟った平城上皇は即刻剃髪。
以後「政界からの完全引退」を表明します。
今まで上皇と天皇は「共同統治者」となっていましたが
平安末期の「院政時代」になるまで譲位した天皇は
政治に介入する事はなくなります。
再び権力者の愛人になれると目論んでいた薬子は
その野望が夢に終わった事を知り
毒を仰いで自殺してしまい
京都で拘束されていた兄仲成も
「抵抗した」という事で射殺されました。
奈良に移った平城上皇が薬子と共に
嵯峨帝に対して起こした遷都騒ぎと権力争いは後に
「薬子の変」とも呼ばれています。
確かにこの事件で命を落としたのは薬子と兄・仲成の二人だけですが
本当に薬子が「黒幕」として平城上皇を操っていたのでしょうか?
ワタシは権力争いに上皇の愛人、それも今で言う義母だったから
悪女の肩書きを付けられたのではないかとも考えます。
だって、その後平城上皇は他の妃達を御所から退出させて
薬子のことを思って暮らしていた様子です。
もしかして、義母という立場でなかったら
宮中に寵妃として末永く暮らしていたかも知れません。
余談ですがこの事件の後実質的に「死刑の執行」が停止されます。
法律上では死刑は存在しますが表向きは減刑されました。
勿論、盗賊とかの類には「闇に葬ってしまった」事も多かったでしょう。
そして「死刑の無い時代」がこの後数百年続きます。
こんなに長い期間「死刑の無い国」だったのは
今でも日本だけだそうです。
週末の歴史は8月いっぱい「夏休み」にさせて頂きます。
楽しみにしている皆さん(居ないと思いますが)
2学期をお楽しみに!!
でも、普通の記事は書いていくので見に来て下さいね