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大いなる誤算―推古天皇―

世の中には「自分の子供さえ良ければ」という親が多いようで

所謂“モンスターペアレント”とか“ボスママ”とか呼ばれています。

 

初の女帝となった推古天皇もどちらかというと

そういう類の人だったような気がします350

 

 

厩戸皇子(聖徳太子)が馬子と共に政治を行ったとしても

女帝の希望は飽くまでも我が子竹田皇子の即位でした。20

しかし、何とした事でしょう。女帝が即位して間もなく

 

病弱だった竹田皇子は若くして亡くなってしまいますお墓

 

現代でも子供に先立たれた親のショックは大変なものです。

ましてや、溺愛していた竹田皇子が居なくなってしまい

女帝は狂わんばかりに悲しみます。絵文字名を入力してください

 

 

女帝が生んだ男の子は他に尾張皇子(おわりのみこ)がいますが

長男の竹田皇子に掛けた期待が大きすぎたのか

尾張皇子自身がおとなしい性格だったのかは分かりませんが

あまり「歴史の表面」には出てこないようです。87

 

 

そうそう、この時代に「任那日本府」を復興しようと

新羅に出兵させる計画があったとかいいますが、295

そもそも任那(伽耶。かや)には

日本が派遣した政府の出先機関というものがあった事自体

疑問視される傾向があります。

この出兵は本当にあったのでしょうか?jumee☆whyR

日本は朝鮮半島に対して

本気で戦争を仕掛けるつもりだったんでしょうか???26

馬子の出自が「百済人」との説もありますが

もし、そうならこの出兵は馬子の差し金かも知れません・・・450

 

 

後に厩戸皇子は有名な“遣隋使”を派遣(小野妹子)し、隋の使者を迎えたり

 

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。

                                               恙(つつが)無きや」

という有名な国書を送ったのもこの頃です。

一方、朝鮮半島との交流を推進する馬子と

外交面から徐々にが出来てきます。 

 

そして、、、、

 

 

 

女帝の人生はというと、

竹田皇子だけでなく、厩戸の妃となった長女菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)

子供を生まないまま早世してしまったり282

女帝自身は長寿ですが、次々に子供達に先立たれ

寂しい晩年を迎えようとしていました259

 

 

そして、女帝が出した詔(みことのり)が物議を呼ぶ事になります

 

 

続きは       また。

 

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| 歴史斜め読み | 09:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

またまた、気になる終わり方。
最近のTVの引っ張り方に似ていますよ(笑)。

明日は、予約投稿有るのかなぁ。
続きが早く知りたい。

| 金魚参番 | 2009/05/09 09:54 | URL |

金魚参番さんへ

あまり纏まった考え方が出来ないので、沢山のエピソードは書けないんです・・・e-263

こんな文章でも「続きが知りたい」と言われると嬉しいです。
有難うございます。

| イェモン | 2009/05/10 20:59 | URL |















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