何処にでも「影の薄い人」はいますよね。
目立たない人がいつの間にか一番良い席に座っていたりします。
馬子が推した次期天皇は穴穂部皇子の同母弟の泊瀬部皇子でした。Σ('0'*)
額田部皇女は最初、自分の長男である竹田皇子を
位につけたいと反対しますが
馬子の考えに思い至ると自分の希望は諦めます。
そうして決まったのが 崇俊天皇(すしゅんてんのう)です。
では、馬子の考えていた事とは??
天皇家は天神地神を祀り神祇を執り行い、
政治については大臣(おおおみ)と
大夫(まえつきみ)達が決めるという事です。
極端にいえば「天皇は政治に口を挟むな」ですね。
その証拠に崇俊天皇は飛鳥の都から離れた
倉梯(くらはし)という山間の場所に宮を建て、追いやられます。
政治から疎外された崇俊天皇は次第に馬子を憎みます。
それこそが馬子の「思う壺」でした。
絶対的な政治権力を得る為には
時の天皇すら斃してしまうというわけです。
そして、その後に「傀儡」となる皇子を皇位につける。
後の平安時代では娘を後宮に入れて皇子を生ませ
その子が即位した暁に外戚として権力を握りますが
馬子はその“力”を示す為に天皇を弑逆(しぎゃく)しています。
またもや空位になってしまった天皇位に
いよいよ額田部皇女が即位します
推古天皇 やっと登場しました。。 (;^_^A
長男の竹田皇子が帝位につくのを望んでいましたが
もし、馬子と対立するようなことが起きると
崇俊天皇と同じ運命が待っている・・・・・かもしれない
政治的なことについては厩戸皇子が皇太子となり
馬子と共同で行う事になります。
推古天皇はその名前豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)が示すように
神祇を行う役割を担います。
個人的な意見ですが
推古天皇在位中の政治については厩戸皇子と馬子ということは
両者が対立した時危険に曝されるのは厩戸皇子
そんな風に考えていたかもしれません。
推古天皇は馬子の姪ですから、当然馬子よりも若い。
自分の愛する竹田皇子を即位させるのは
馬子の死後でも良いんじゃないか・・・・・・??
しかし、その後まもなく。。。。
続きは また。