現代で葬儀といえば「お通夜」と「告別式」ですね。
殯とはこの「お通夜」に当ると思いますがこれが長いっ!!
数ヶ月から、長い時には3年近くも行いました。
特に後嗣問題がこじれるほど長かったようです。
故・敏達天皇の殯の宮に突然欽明天皇と小姉君の皇子
つまり額田部皇后の異母きょうだいの穴穂部皇子がやって来ます。
額田部の母堅塩媛と小姉君は同じ蘇我稲目の娘ですが
堅塩媛系の子供達に比べ子姉君系の子供達は
馬子に優遇されません。
穴穂部皇子は次期天皇(大王)も座を狙っていたので
一番手っ取り早い方法として目を付けたのが
額田部皇后と「関係を持つ」方法です。
穴穂部皇子にとって皇后を自分の妻に出来れば
こんな大きな後ろ盾はありません。
しかし、この企ては失敗しました。
警護隊長の三輪君逆(みわのきみさかう)に対し
殯宮の開門を迫りますが七度も拒否され仕方なく引き返します。
その上、この出来事が皇族・群臣たちの噂となるに及ぶと
自分のやったことはしっかり棚の上の奥深くに仕舞い込んだ
穴穂部皇子は自分を次期天皇に擁立しようとしている物部守屋と共に
三輪君逆を殺してしまいます。
当時、額田部皇后と逆との間に恋愛関係があったと言われたりしてますが
穴穂部皇子のこの仕打ちを見ると、あったとしても不思議ではありません。
なにしろ「恋愛にプラトニックは存在しない」という時代。
恋愛感情がイコール肉体関係に結びついていました。
故敏達天皇の皇后としてはそのプライドから
間違いは起こさないのでは・・・・とも言えますのでわかりません。。。
とにかく、この事件で自分の警護隊長を殺された
額田部皇后はプライドを傷つけられた訳です
続きは また。