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愚痴や気が付いた事等を書いていきますのでちょっと寄ってってね♪

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昔の美女はハンパないっ!!―右大将道綱の母―

チバジマは知事選挙を明日に控え
候補者が「最後の追い込み」に必死でしょうね。


今回は大昔の「政治家の妻」でもあり、
母でもある人の紹介をします。


   嘆きつつ独り寝る夜の明くるまは
  
       いかに久しきものとかは知る



百人一首にも出てくるこの歌の作者
名前は伝わっておりません。


この時代は女性の名前をそのまま呼ぶ事はなく女の子
肉親の役職名である○○式部とか○○納言とか
親や夫の役職若しくは住んでいる場所等々・・ですね。



平安時代の代表文学「源氏物語」でも
本名が書かれている人物は居ません。
それは、「本名を知らせる」事がタブーとされていたのであって、
決してあの紫式部サン(勿論本名ではありません)が
ロマンチックに浸って作ったわけではなく(実際、すばらしい呼び名のオンパレードですが)
こういう呼び方が当 然だったからです。



この「道綱の母」は何故有名かというと、
歌が巧みで(勿論、三十一文字の和歌です)文才もあり、
しかも「王朝三美人」の一人とされるほどの美貌だったそうです。びっくり



そして、何よりも「かげろふ日記の作者として
現代にも通じる“女の嫉妬”の辛さ・切なさを綴った人です。 41

彼女の結婚相手は藤原兼家といい、平安時代の栄華を極めたと言われる
藤原道長のお父さんです。208
尤も、道長は彼女の産んだ子供ではなくて
“もう一人の妻”482である時姫が母親です。 


この兼家との馴れ初め328 や、 結婚後、彼女が味わう「苦しみ」「悲しみ」については

また、明日・・・
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| 歴史斜め読み | 08:06 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

確か、「藤原にあらずんば、、、。」でしたっけ、すみません。
イェモンさんはホント詳しいさすがです。
明日また話して下さいね。

では。

| 光隆 | 2009/03/28 09:44 | URL |

おぉ歴史ブログの面目躍如ですね(笑)。

千年以上経っても心に響く言葉の使い方に憧れます。
私も一首だけでも、そんな詩を書いてみたいものです。
羨ましい。

| 金魚参番 | 2009/03/28 13:29 | URL |

光隆さんへ

この時代はそれこそ「石を投げれば藤原に当る」ほど、藤原氏だらけでしたよね。
だから、後胤といえども、立場は弱かったんですね。

| イェモン | 2009/03/28 15:20 | URL |

歴史は全く弱い私ですが^^;分かると奥深くて楽しいですよね~。
続き楽しみにしていま~すe-343

| リコタン | 2009/03/28 18:18 | URL |

金魚参番さんへ

是非、詩を書いてウクレレで曲を付け、披露して下さい。

| イェモン | 2009/03/28 23:38 | URL |

リコタンさんへ

有難う御座います。

実は平安時代ってワタシが「歴史好き」になるきっかけでもあるんですよね。

でも、正直言って「和歌」は苦手です(´∀`)

| イェモン | 2009/03/28 23:43 | URL |















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