イェモンがスペースを空けて紹介した
孝謙(称徳)天皇は
女性で初めて
「皇太子」
となり、帝位に就いた天皇です。
孝謙天皇は
聖武天皇の第二皇女として生まれ名前を
阿倍といいます。
9歳の時に生まれた同腹の弟が一年足らずで亡くなり
その後、異腹の弟が皇位に付く事を恐れた
藤原氏によって
異例の
「女性皇太子」という地位に着きました。
でも、彼女にはライバルが居ました。
弟の
安積皇子は勿論ですが
それよりも強大なライバル達
長屋王一家です。
正妻の
吉備皇女は
元明天皇の
娘であり、
文武天皇、元正天皇の
妹でもあります。
子供達の膳夫
(かしわで)、葛木
(かずらぎ)、鉤取
(かぎとり)達は
『皇族』の両親を持っているということ。
元明天皇の
皇孫という扱いを受けているので
藤原出身の母を持つ阿倍よりも
“天皇に近い立場”であるとも云えます。 こういう背景が危機感となってあの悲劇
「長屋王の変」に進んでいきました。
と、イェモンは考えております。
その後弟の
安積皇子も病死(暗殺説もあり)。
女性初の皇太子となった
孝謙天皇の誕生には
こんな背景もあるんですねぇ。。。
勝手な歴史の解釈は、これで一休みします。
「女帝」達についてはまた、徐々に書いていきたいですねぇ。
面白くもないかもしれませんが、その時はお許しください。
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