何だか今月は慌しいと思っていましたが
2月は日にちが少ないからそう感じるんでしょうか?
それとも歳を取ると月日の経つのが速く感じるから??
不比等の娘・宮子が皇子を産んだ後で
何故か心的障害に陥ってしまい
長いことわが子にも対面しなかったとか・・・
穿った見方をすれば
「幽閉」されていたのかも??
という説も有るような無いような。。(*`・з・´)ドッチダヨ!?
当然ながら真相を知っている人は誰も生きていない

ので
人それぞれの解釈があって良いとは思います
彼女が元気では都合の悪い人も・・・ゲフンゲフン!

それはさて置き
(え?)首皇子はいわば
藤原氏出身の娘が産んだ子で
それまでの天皇は母方が皇族であるというのが
即位するときの重要条件だったので
異例の出来事なんですね~
正式な皇后
(皇族出身が条件)が居なかった
(こちらも諸説アリアリ)文武天皇には
藤原氏出身の宮子の他のオクサマとしては
石川氏出身の刀子娘と紀氏出身の竈門娘が居ましたが
二人とも理由は分かりませんが
突然その地位を剥奪されてしまいました
因みに藤原宮子は「夫人」で後の二人は「賓」
位の順で言えば「妃」「夫人」「賓」と続きます
どうしていきなりそんな暴挙(?)に出たか?というと
やはり刀子娘が産んだ二人の皇子に対する牽制でしょうね
位は宮子の方が上でも石川氏は持統天皇の祖父に当たる
倉山田石川麻呂と遠い血縁でもあったのかもしれません
この処遇に関しては三千代も何らかの形で関係ありそう
だってライバルの皇子が居なくなってしまえば
跡を継ぐのは宮子が産んだ首一人!
しかも
乳母は自分!
自分が産んだ娘も一緒に手元で育てれば
いずれはおキサキの一人に上げる事も出来る!!
何て磐石な布石でしょうね~
自身の出産さえも武器になるとは運が強いとしかいえません!
こうして長年皇室に仕えたご褒美として頂くのが「橘」の姓です
ですから正式には
「県犬養橘三千代」という
長ったらしい名前になったんですね~
余談ですがこの時代に天皇から姓を下賜されるというのは
それはそれは名誉な出来事でしたので
前夫の美努王との間の子である葛城王と左為王も
後々
「橘」の姓を名乗っていますね
さ~いよいよ橘三千代として忙しく立ち回り
まさに
「わが世の春」といった時代がやってきそうです!
つづきはまた!
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