夕方暗くなるのが早くなりましたね~

この間まで家に帰り着いても明るかったのに
今ではすっかり暗くなってしまってます(´・_・`)
思い出してみれば以前は
週末に
歴史話をしていたんですよね~(´∀`*;)ゞナンテコッタイ!
まぁ、ちょっと急ぎ足で

行きましょうか!?
文武天皇の早世によってまた後嗣問題が起こってきますが
成人した
天武の息子達が沢山居る中で
肝心の文武の遺児は藤原宮子の生んだ
首(おびと)も
他の子供たちもまだまだ小さくてとても天皇の位には就けません
当時は
成人(元服)以前に即位することが出来なかったからです!
せっかく持統が天皇は直系が継ぐ事を決めたのに
これは
大ピンチ!ですね/(^o^)\
だって文武には皇族の妃が居なかったから
そこで
阿閇が女帝として即位するのですが

コレがまた、ちょっと変則的というか・・
だって阿閇の夫草壁は天皇にならず
皇太子のまま亡くなっていますから
皇太子妃のままで皇后にはなっていないんですね|ω・`)ヤヤコシ!
ではなぜ阿閇が即位できたか考えてみると
持統が即位したのがそもそも
天武の皇后だから・・というより
皇太子で亡くなった草壁の代わりとしてだったので
文武の母親の立場で阿閇が女帝になる!という
こじつけでもしたのでは!?
勿論ド素人の戯言ですけどね~(〃ノωノ)ミノガシテ!
これには藤原不比等の思惑もあったでしょう
彼は
我が娘宮子が生んだ首の即位を望んでいたので
ここで天武の皇子が即位してしまっては
自分の孫が天皇になれませんから!

さまざまな波乱を含んで
阿閇の治世が始まります!
続きはまた!
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