秋分の日の昨日はあまりにも雨が降るので
結局お墓参りにいけませんでした~(泣)
明日の土曜日は何が何でも行ってこなければ!!
阿閇の息子珂瑠が即位して
後に望む事といえばやはり
皇子誕生ですが
何故かこの文武天皇には皇后がいません

当時の皇后になる資格がある・・といえば
皇族の血を引く皇女が妃になった場合です
祖母の鸕野讚良も天智天皇の皇女ですし
同じ父親を持つ阿閇ももし夫の草壁が早世せず
天皇位を継いでいたとしたら勿論
皇后になるのは阿閇だった訳です!
ではな文武には皇后が居なかったんでしょう?
皇后にふさわしい年頃の皇女が居なかったから?
一説には文武には天武天皇の皇女
紀皇女(きのひめみこ)が後宮に入っていたのだけれど
異母兄弟の
弓削皇子(ゆげのみこ)と密通をしたから
位を降ろされてしまったとか・・・・・

もしそうだとしても他に皇女が居なかったんでしょうか?
私はここにあの藤原 不比等
(ふじわらのふひと)が
一枚絡んでいるんじゃないかと考えています
何故なら!
文武の皇子であの有名な大仏を建立した
聖武天皇を産んだのが誰あろう
不比等の娘の
藤原宮子だったからです
宮子が皇子を出産しても文武の後宮に
皇族の血を引く皇女が入内してきて
皇子が生まれてしまっては天皇位に就くことが出来ない!ついでに言えば、文武に皇后が居なかった事が
その子聖武天皇の時代に皇族以外の女性
云わずと知れた
藤原の血を引く光明皇后になるので
皇后不在という一時代を経て
皇后位から
皇族の血筋という条件を
無かったことにした・・・という説もあるようです
不比等はそれだけでなく
若い文武と一緒に法律改正を手がけたり・・
太政天皇となった持統と阿閇の目には
その昔夫天武と自分を追放した
天智と不比等の父藤原鎌足の二人の姿に
重なって見えたかもしれません
年老いた持統が斃れいよいよ不比等にとって
我が世の春!

と思ったのも束の間
幼い子供達を残して若き文武は
たった24歳でその一生を終えてしまったのです!
残された阿閇たちはどうすれば?
続きはまた!
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