早いもので気が付くと秋のお彼岸で
秋分の日にはまたお墓参りですね~

雨が降らなければ良いけど・・・・
微妙なところでしょうね~(´・_・`)
天武天皇が亡くなり、大津皇子の謀反(?)の後で
法律を整えようとしていた矢先の草壁皇太子の死でした
その後鸕野讚良皇后は飛鳥浄御原令
(あすかきよみはらりょう)を公布
自ら即位して後に
持統天皇と呼ばれます。

持統天皇は太政大臣となった高市皇子と協力して
天武在世中より計画していた藤原京への遷都を行います
そしてこれから・・・!という時に
頼りにしていたであろう
高市も薨去してしまいました
たった一人になってしまった持統天皇の片腕として
珂瑠皇子が皇太子に付いてその役に当たるのが順当でしょうが
当時は元服前ではその任に就けなかったし
前にも書いたように
天武天皇の皇子がうじゃうじゃ居たので((((;´・ω・`)))
後嗣についても一筋縄では行きませんでしたが
何とか珂瑠皇子が皇太子に決まり
母親として
阿閇も政治に参加するようになったのではないでしょうか?
阿閇の気持ちは自分が異母姉持統天皇の片腕というより
わが子珂瑠の治世が平穏でありますようにと願って
少しでもその手助けが出来れば・・と考えていた事でしょう
珂瑠皇子が無事に15歳になって即位して
文武天皇となり、持統天皇が
太政天皇として
共同統治するようになった時には
やっと一安心!といったところでしょうか?
しか~し!
まだまだ波乱万丈は続きます!Σ(゚□゚(゚□゚*)
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