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どうか幸せに~元明天皇~

三連休ももうすぐ終りですね~!(´・_・`)ハヤカッタネ・・
私は昨日一年ぶりに美容院へ行って
髪を切って来ました~~~♪
とはいえ、短くはしないで梳いて貰っただけですが
それでも気分はスッキリサッパリ(* ´ ▽ ` *)

お年頃を迎えた阿閇皇女に持ち上がるのは
ご想像通り縁談ですね~!
そのお相手というのが天武天皇と持統天皇の一人息子
草壁皇子(くさかべのみこ)

二人の間には氷高(日高)皇女(ひたかのひめみこ)
後の文武天皇になる珂瑠(軽)皇子(かるのみこ)
そして長屋王(ながやのおおきみ)と結婚する吉備皇女(きびのひめみこ)
子宝にも恵まれ幸せな日々が続いていました

天武天皇には高市皇子(たけちのみこ)という年長の息子が居ますが
母親が宗形(胸形)尼子娘(むなかたのあまこのいらつめ)で身分が低かったため
実質的には草壁が長男になります(;゜0゜)ヤヤコシイ。。

長男が必ず皇太子になるという現代と違って
母親が皇族出身の皇子だけでも何人も居る!
しかも同じような年齢で草壁よりも目立つ存在に
皇后だった持統天皇・鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)
早世した姉大田皇女(おおたのひめみこ)の忘れ形見
大津皇子(おおつのみこ)が居ました|ω・`)

鸕野讚良皇后にとっても大津は息子のような存在ではあったでしょうが
やはり自分の腹を痛めた息子お気に入りの異母妹
自分達の跡を継いでほしいと思ったでしょうね
それだけじゃなくてあの「天上の虹」でも言ってましたが
大津の正妃は山辺(やまのべ)皇女は
父親は天智天皇で血筋的には問題無いのですが
母方の祖父が蘇我赤江兄(そがのあかえ)といって
鸕野讚良の祖父蘇我倉山田石川麻呂を
陥れた張本人だったのですから!
幼い頃の自分達を不幸にした男の孫娘が
自分の跡を継ぐ事が許せなかったんじゃないでしょうか

一般的には草壁は大津と比べて無能だとか
母・鸕野讚良がどんなに引き立てようとしても
一向にやる気の無いダメ男のように見られていますが
私は決してそんなことは無い!
彼なりに日本の未来を良くして行こうと頑張っていたと思います。(」*´∇`)」ガンバレ!

父・天武が崩御し大津が謀反を起こしたとして
失脚した後でいよいよ草壁が即位!?となったその時
阿閇の最愛の夫草壁は病死してしまいます!

幸せな日は長く続かなかったんですね・・
続きはまた!

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