今日は中秋の名月なんですが
関東地方は生憎の曇天で
雲の向こう側がうっすら
明るくなっている様子しか分かりません(っω・`。)
真ん丸お月様のような和同開珎を発行した元明天皇
名前が阿閇
(あへ)又は阿部
(あべ)といいますが
一般的にはやはり
阿閇皇女(あへのひめみこ)でしょうか?
この方の父親は
乙巳の変(いっしのへん)で
蘇我入鹿を斃しその後大化の改新を行った
天智天皇です!
母親は姪娘
(めいのいらつめ)といって
蘇我倉山田石川麻呂
(そがのくらやまだのいしかわまろ)の娘です
このややこしい名前の倉山田石川麻呂は
天智天皇と共に乙巳の変を行った一人ですが
後にその天智天皇や中臣鎌足と
異母弟達の讒言によって自害しています((((;´・ω・`)))
この時代は身内といっても油断出来ないんですね!
ご当人の倉山田石川麻呂も
一族の本家ともいえる蝦夷・入鹿親子を
滅ぼしているんですから・・・

余談ですが中大兄皇子の名前でも有名な天智天皇ですが
この
「大兄(おおえ)」というのは名前ではなくて
同母兄弟の中の
「長男」という称号で
「中大兄」は「二番目の大兄」という意味だそうです。
因みに天智天皇の名前は「葛城皇子
(かつらぎのみこ)」と云います
多分乳母の出身地か幼い頃育った土地なんでしょうね

阿閇皇女の母姪娘と持統天皇の母越智娘
(おちのいらつめ)は姉妹ですが
持統天皇と阿閇皇女は
歳がかなり離れているので
母親同士は姉妹とはいっても異母姉妹なのかもしれません
この時代は母親さえ違えば
父親が同じ異母兄弟でも結婚出来ましたし
姉妹同士が同じ夫と結婚生活を送るのも
特に高貴な身分の人たちには
当たり前の事だったんでしょうが
現代人の私にはとってもややこしく思えます

色々寄り道ばかりしていて
中々本題の方には進みませんが
次からは
阿閇皇女の人生について
語って行きたいと思います
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