金曜日の夜に降った雪が

薄っすらと車の屋根とフロントガラスに・・
朝、学童へ送っていくのに時間が無くて
お湯をかけて溶かしました~(^o^;)
スゲーーー寒かった~(泣)
手が凍るかと思ったよ~
只今の「大河ドラマ」では
崇徳天皇の御代ですが

中々鳥羽上皇に冷たくされてますね~

この
崇徳天皇は悲劇の方といえますが
大河ではその様子も出てくるんでしょうか?
楽しみに待っていたいと思います

そして上皇の周りの女の戦いも!
待賢門院の璋子(たまこ・しょうし)と
美福門院となる得子(なりこ)ですね
この時代は院と呼ばれる上皇が権力を握っていましたが
それは
上皇の子が天皇の位にある事が第一です

祖父の子と思われる崇徳の御代では
鳥羽上皇は真の権力者にはなれません
待賢門院との間には他にも男女の子が生まれますが
次男と三男は障碍があったとも言われています。
今回の大河では得子に生まれたのは女児でしたが
その後生まれた男児に譲位させ
真の
「治天の君」
として権力を握ったわけです。
崇徳は得子の産んだ
体仁(なりひと)を養子としていたので
皇太子とすれば
「天皇の父」という名目ができますが
譲位の宣命には
「皇太子」ではなく
「皇太弟」となっていたため
崇徳は上皇になった後でも権力を握る事はできませんでした。

摂関時代でも自分の身内(孫)を天皇にすることで

権力者になれましたが
流石に
天皇の譲位を強行する事はできませんあの藤原道長でさえも自分の孫が皇位につくまで
当時の三条天皇と必死の攻防を繰り広げています

権力者が上皇ともなれば
かなり強引に譲位させる事も出来たかも・・・
なのでこの頃の天皇はそれこそ
コロコロ代わっているのでややこしいです~(;^_^A
体仁親王は近衛天皇として即位しますが
若くして亡くなってしまったために

次の天皇として名前が挙がったのは
鳥羽天皇の五男の雅仁(まさひと)ではなくて
雅仁の子の守仁(もりひと)でした!!
「天皇の器に非ず」ともいわれた雅仁ですが
守仁が即位するまでの中継ぎとして

皇太子の位に就かずに天皇になりました。
後白河天皇ですね~!(^o^;)アァ!ヤヤコシ!
予定通り2年で譲位した後白河天皇は
鳥羽上皇亡き後に後白河上皇として権力の座に就きます
そして、この上皇の元で寵愛を受けたのが

誰あろう!?
平時子の異母妹の平滋子です!!滋子のお陰もあって平一門の繁栄があった訳ですね~
いやぁ、本当にややこしい!!

ごく大雑把に見るだけでもこんなに分かりにくい
(ワタシだけ?)ので
やっぱり院政期は苦手です~~~(;´д`)
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この時代以前も兄弟やイトコの譲位はありましたが
これ程ややこしくは無かった気がします
崇徳天皇はある意味可哀想な方ですよね。
親のツケを一人で背負わされた感じがします・・
今回の大河ドラマは見応えがあります~!
前回が消化不良というか何というか・・・だったので尚更!?
大河の見所の合戦も結構ありますし。。保元の乱とか・・
いろんな人達が見て楽しめるように作ってると思いますよ~!
昔車で通勤していた頃は
毎日ペットボトル2本にお湯を入れて
近所で借りている駐車場まで持っていって溶かしてました
お湯をかけてる傍から凍って行くのが癪でしたね~!
最近は電車通勤で運転するのは土曜日限定だし
そんなに早朝でもないので久し振りにお湯かけました!!
鳥羽上皇を巡っての女の戦いに
男共の権力争いが絡まって・・・あぁドロドロ
ワタシも学校へ行っている頃には
チンプンカンプンでしたけど
人間関係から見ていくとなんとな~く
分かるような気も・・・(^o^;)
得子さんは実際も「やり手」だったみたいですね~!
生前の鳥羽上皇の財産を根こそぎ相続したらしいし・・・
う・・・羨ましいっす!!