冷たい北風が吹いて寒い一日でした~(´・ω・)
乾燥具合も絶好調!?髪の毛が静電気

で纏わりついて
とっても不快です

「大河」の第一回目では
清盛の出生~幼少時代でしたので

ちょっと横道の逸れてこの時代を少し語ります。
この時代は藤原摂関家に代わって
上皇(院)が政治的に力を持つようになります。
その前はこの上皇という地位は
全くのお飾り!権力どころか
隠居の身分です(^o^;)
伊東四朗さんが演じる
白河院は
父の
後三条天皇が藤原家出身ではなく
天皇家の皇女が母親だったので
藤原摂関家から権力を取り戻した
・・・ようですが
完全に藤原家と関係が無くなってしまった訳でなく
祖母の皇女自身はあの
藤原道長の孫です。
何故摂関家ではなく上皇が権力を握ったのか?は
長くなるのでこの白河上皇の祖母
忘れない内に禎子(ていし)内親王を語りたいと思います~(^o^)v
そして肝心な(?)
鳥羽天皇が譲位した子供!
ドラマの中では
「父に書をみせる」という場面で
実は
天皇の子ではなく祖父の白河上皇の子だと現していますが
これは当時から周知の事として知られており
実際はあんなにドラマチックではなくて
生まれた時から鳥羽天皇は知っていた模様です

子供(後の崇徳天皇)について
「叔父子」(おおじご)と言っており
我が子という位置にあるけれども
実際は父の弟=叔父であるという訳です物凄くややこしいですが
妻問い婚
が普通だった当時は
男にとってあちらこちらに通い所があって当然
女の方も色んな男が通ってきても
別に不貞と云われる時代では無いんです。(`・ω´・)+
それでも天皇は皇后(中宮)はじめ
宮中に居て女官をお相手にする事はあっても
自ら出かけて歩く訳には行きません
これが上位をした上皇となれば
堅苦しいしきたりや何かは関係なくなるので
かなり自由に遊び歩いたりも出来ました

最後に
清盛の出生について・・・

ドラマでは
白河院(上皇)と
白拍子
の子ですが
実際に白河院の子という節もあるようですね~。

母親は
祇園女御とか・・・・( ̄▽ ̄;)
これは
清盛の生母が不明だという事で
色々と憶測が飛び交うんでしょうけど

ワタシは・・・
父の忠盛の実子だと思いますよ~!
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忠盛の実子でなければ、普通こんなに可愛がって育てるかとおもうのですが、実際は白河の子だという説が多いようですねー。出世を見るとそのほうが説得力がありますね。
また「源氏の流れ」ともいわれ歴史の謎は分かりません。
義経を真剣に見ていましたが、今回は余り見ていません。
目が疲れるせいもあります。汗)松山さんも知らない為かも・・
今年も宜しくお願いいたします。!
視聴率はイマイチらしいですけど
ドラマとしては面白いと思いますよ~!
出世の具合から「白河の子」と云われているのかなぁ?
同じ意味でワタシは違うと思うんですけど
まぁ、ワタシはへそ曲がりのド素人ですから
アテにはなりませんね~(^o^;)
「おうけ」発言が問題になっているとは知りませんでした~(;^_^A
あれは音で聞くと「おうけ」ですけど
文字にすると「皇家」になりますから
間違いではないと思っています!
外国の「王」みたいに思えるのかな?
日本も聖徳太子の頃は「大王」(オオキミ)ですからね~
まぁ、「おうけ」が出たら頭の中で
「皇家」に変換しましょう!