昨日はクリスマスイブでしたね
我が家ではのどが痛いというおねえを除いた
おにいと次女子の為に(?)唐揚げを作りました
生憎前日お肉を買いに行ったスーパーで
時間が遅かったせいか2パックしか残っていなくて
私の口には一欠けらも入りませんでした
それでもワンコのテバにはちゃんと味付なしの
唐揚げをお裾分けしました!
ご飯の後はケーキのお時間

今年は手抜き&節約のために
前日スーパーで見掛けたこちらで済ませました
テバにも勿論ワンコ用のケーキを買っておいたので

ご飯用のお皿に置いてあげたら

あ!っという間に完食していました
やっぱり女の子(♀)は甘いの好きよね~♪+.(*'v`*)+
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大分前のお話なんですけど
お彼岸の時にお墓参りの帰りに
柴又の友達のお店に立ち寄った時に
ずっとロングにしていた友達が
思いっきりショートカットになっていたのでビックリ!
理由を聞いてみたら何と友達は
医療用ウィッグ製作に寄付するために
3年間髪を伸ばしていて規定の長さになったので
この度やっと寄付することが出来た!と
スッキリした顔で言っていました
我家のエマちゃんも同じ思いで
長年切らずにいた髪を先日バッサリ切ってきました
で!私も実は忙しさにかまけてこの1年間
髪を切るどころか美容院にもご無沙汰という有様なので
この際もっと伸ばして髪を寄付しようと考えています(
こちら)
染めていても多少痛んでいてもOKとの事
長さが30cm以上というのが最低条件なので
これからまだまだ伸ばし続けなければいけません
ただ私の場合は結構段が入っているので
一度尻尾(?)を切り揃えたいと思っています
暖かくなったら一度美容院に行って
髪を揃えてから仕切りなおし・・・じゃないけど
頑張って30cm以上伸ばして寄付したいと思います!(=゚ω゚)ノ
12月も20日を過ぎいよいよお尻に火が着きそうです
今週末にはあの!国民的イベント(?)クリスマスがやって来ます
我家では次女子以外プレゼントを欲しがる訳でもなく
今年はケーキも要らない・・・とか(´;ω;`)サビシイヨネ!
まぁお財布的には有難いですけど。。。
そんな我家にはこの前の日曜日にMOIちゃんが遊びに来ました
最近は仕事が忙しいそうで年に2~3回しか会えなくなって
この前来たのが先月・・・という事で
土曜日に「行ってもいいか?」とLINEが来た時に
早くない??と思いましたがコレを逃すと今度は
年明けどころか下手すると夏休み頃になる恐れがあったので
子供達も喜ぶし来てもらう事にしました
何やら大きな袋持参でやって来たので何かと思ったら
おもむろに取り出した中身が
え??
そういえば新しいSwitchが手に入ったら
古いのもらう約束してたけど・・・・
どう見ても新品にしか見えませんよ!!
子供たちにはこちら
色違いで一台ずつ持って来てました!Σ(゚□゚(゚□゚*)
日頃お世話になったお礼とか言ってましたけど
お礼のほうが遥かに金額張ってます!!
折角わざわざプレゼントしてくれたので有難く頂戴しました
しかもダウンロードカードも買っておいてくれたので
それぞれ好きなソフトをダウンロードして遊んでました
私はドラクエ11かビルダーズか迷ったんですが
最初はやはり王道のドラクエ11から始めています
やっている時間が短いのでまだ序盤のデルカダール城に着いたばかり
しかもお城に入る前に町の中で早速迷子になっている有様です
今度のお正月は出歩かないでゲーム三昧になる予感!!(〃▽〃)
ボケっとしているうちに何時の間にか12月
それも中盤になっているとは。。。。Σ(ω |||)
白蓮さんのことも中途半端なので
駆け足になりますがその後を追ってみます
再婚して「炭鉱王の妻」になってもその実は
色々複雑な家族関係が重なって
気の休まる日もなかったのではないでしょうか?
満たされない生活の中で作った短歌は
私生活を赤裸々に歌い上げ
雅号の「白蓮」もこの頃から使い始め
歌集を自費出版したり次第に話題になっていきました
大正8年12月、戯曲『指鬘外道』(しまんげどう)を雑誌『解放』に発表
これが評判となって本にすることになり打ち合わせのために
翌大正9年1月31日『解放』の主筆で編集を行っていた宮崎龍介が別府の別荘を訪れます
当時龍介は7歳年下の27歳でした
ここでやっと運命の二人が出会いました
その後この境遇に耐えられない!救い出して欲しい!という手紙が
宮崎の元に届くようになり
大正10年8月に京都での逢瀬で宮崎の子を妊娠してしまいます
夫と別れて宮崎と一緒になるにしても今のように
慰謝料払って離婚・・・よはいかない時代だったので
夫の伝右衛門のお気に入りで博多花柳界で名高い芸妓であった舟子を
大金の4千円で身請けして廃業させ小間使いという名目で
自分の身代わりとして妾にしてから駆け落ちし
一方的に新聞紙上で絶縁状を送りつけるというのが
白蓮事件と後にいわれるようになったあらましです
その後は結核を患った夫に代わって家計を支え
姑と協力して家事育児をこなしていき
彼女を頼って逃げ出してきた吉原の遊女の
自由廃業の手助けをしたりしたのは
かつて伊藤家で同性を犠牲にした罪の意識があり
娼婦の救済はその罪滅ぼしもあったと見られます
男は外で妾を持とうが、子どもを作ろうが
何の咎めも無かった時代ですが
女が夫以外と密通
(これもイヤな言い方だね)したりすると
それは立派な姦通罪になってしまいました
私は婚姻時に他の異性と親密になる事(所謂浮気)を認めるわけではありません
一度離婚してから仕切り直すのが筋だと思うんですけど
これは男女関係無くどちらも同じ立場だと思うだけです
白蓮さんは当時の女性たちにとっては憧れの的だったのかもしれませんが
それはやはり夫婦間でその貞操についての不平等さに対する
女性たちの不満の想いがあったからかもしれません