ちょっと寄り道しませんか?

家事に仕事に時々介護!たまにはゆっくり歴史も語りたいよね~

女性の生きる道は・・

早いものでもうすぐ年末ですが
我家の次女子はサンタさんのプレゼントが待ち遠しくて
毎日のように「あと何日?」と聞いてきます

15歳で妊娠・結婚という運びになってしまった燁子ですが
出産後は婚家北大路家縁の京都へ転居となり
生まれた長男は姑の手元で育てられ
知人も血縁者も全く居ないところで孤独に暮らしていました

頼りになるはずの夫も燁子を庇うどころか
妻を顧みず女中に手を出したりする始末でした

燁子の訴えで現状を知ったじっかがやっと離婚を認め
20歳で実科に帰る事が出来ましたが
帰った後でも本邸に入ることは許されずに
母・初子の監督下に置かれ外出もできない毎日でした

その後本人の意向を差し置いて又もや縁談が進められたのを知り
乳母を頼って家出をしますが既に故人だったため
兄の義光夫妻に預けられることになりました

この兄嫁の家庭教師の出身校だった縁で
23歳で東洋英和女学校に編入学し寄宿舎生活を送りました

この頃に姉・信子の紹介で佐佐木信綱主宰である短歌の竹伯会に入門
年下の友人にも恵まれ慈善事業にも関心を持つなど見聞を広げました

明治43年3月に卒業した歳の11月になると
九州の炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門と見合い
その時燁子は見合いだとは知らされていなかったそうです

伊藤は当時50歳と燁子とは親子ほどの歳の差があり
炭鉱労働者からの叩き上げという事もあり
二人の結婚は「華族の令嬢が売物に出た」と話題になりました

いざ結婚してみると前妻に子どもが居ないと聞いていたのに
妾との間に小学生の女児が居たり
妹の子どもである大学生や小学生の甥が養嗣子として居たり
義父が妾に産ませた子どもが居たり・・・・・etc・・・と
中々の大家族だったようです

当時結婚に際しては親の意思が大きく左右するのは書きましたが
男性30歳以上・女性25歳以上になれば親の同意がなくても結婚が出来たそぷです

でも自分で生活基盤を築ける男性はともかくとして
親の庇護の元で外に働きに出るなんて・・・
特に上流階級ではとても出来なかったでしょうから
周りの意見に従ってお嫁に行くしか生きる道は無かったのかもしれません

そんな時代に燁子はこの後で当時としては
一大スキャンダルともいえる事をしてしまいます
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プロフィール

睦月

Author:睦月
イエローモンキーの曲が大好き!!
日本史大好き(古代~平安時代が特に)!
今一番気になるのは蘇我馬子だったりして(^o^;)
ゲーム大好き(ドラクエ限定)!
訳あってじぃちゃんと二人暮らしになりました。
介護なんて大それた事もしてませんが、日々仕事と家事で忙しく過ごしています。

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