早い物で1月も今日で終り
今年も残す所あと11ヶ月となりました(笑)
吉原に住んでいる遊女達は
殆ど年頃になる前に売られてきた娘たちです
でも中には生粋の吉原っ子も
遊女達が産んだ子供たちですね。
彼女達が不幸で自分の身の上を嘆いていたかというと
必ずしもそうとは限りません
だって子供を売らなければ生活が出来ない位
貧しい生まれの人たちばかりです。
毎日ご飯が食べられる幸せを思えば
多少ツライ事でも頑張っちゃいませんか?
それに一般的には遊女は早死にしてばかりの印象ですが
結構年季を終えて外へ出て行った人も多いんです。
考えてみれば当り前です
皆が皆借金分を稼がないうちに死んでしまったら
遊女屋だって成り立たないですもんね。
そして、ここが大きなポイントですけど
年季が明けた遊女は町人になれるんです。
江戸時代の身分制度「士農工商」に属さない人たち
そういう身分に生まれても女性の場合は
遊女になって年季(大体10年前後)が明ければ
一般市民の仲間入りが出来たんです。
これは女の場合だけで
男は生まれた身分を引き摺って生きなければならなかった
吉原に生まれた男も同じで
身分制度に外れた所で一生を過ごしました。
と、言うわけで続きはまた。 なんですが、
オマケにこちらをどうぞ
ドラクエⅥの方もサクサク(?)進んで
ワタシの気分も上々です!
時代劇では中々全貌を知る事の出来ない
吉原の町並ですが
大体こんな感じだった模様です
キッタナイ地図ですが我慢していただいて
大門(おおもん)と呼ばれる門を潜ると
真ん中に一本の道が通っていて
その左右に遊女屋が並んでいるといった模様です。
町を囲んでいる通称「おはぐろどぶ」とは
どぶ沿いに建っている見世の下級遊女が
お歯黒をした鉄鍬(かね)の残りを捨てていたので
水が黒くなっていたとか・・・・
出入り口はただ一つ大門のみですが
遊女達がここを潜って外に出られるのは
年季の明けた時と身請けされた時以外は火事の時だけ。
男は夜な夜な行ったり来たり出来るのに
借金で雁字搦めの彼女達には夢のようなお話ですね。
では大門の中に住んでいる遊女達の日常は?
続きは また。
「出る」と言われて楽しみに待っていた
アレがやっとの事で本日発売されました
ドラゴンクエストⅥ
![]() | ドラゴンクエストVI 幻の大地 (2010/01/28) Nintendo DS 商品詳細を見る |
先週はワタシの誕生日だったので
プレゼントとして買ってもらう約束でした
待ちきれずに朝から「ドラクエ~~」と
“姫”にメール攻撃
その甲斐あって(?)
忘れずに買ってきてくれましたよっ!
まぁ、近所に売っていなくて
遠く隣の市まで行っても売り切れ
仕方なくあまり人が居なさそうなお店で
やっとゲットしたらしいです。
しかも残りあと3本だったとか Σ('0'*)
これから心置きなくプレーいたしますっ!
あっ! Ⅸもまだまだ継続中ですよぉ!!
先週の水曜日にチビ達の通う幼稚園で
1月生まれのお誕生会がありました。
我が家のおとぉとも1月生まれなので
保護者宛の招待状を持って帰りました。
コレを首に掛けて帰ってきたそうで
本人の得意そうな顔を思い浮かべてニヤついていたんですが
その招待状の中身が
おかあさんへ とありますね。
ところで、我が家では“姫”がママで
何故かワタシが「おかあさん」と呼ばれているので
思い込みの激しいおとぉとは
「おかあさん(ワタシ)が来るのっ!」と主張していました。
いくら「キミのおかあさんはママなんだよ」と言い聞かせても
「違う~~~っ!」の一点張り!
それでも出席するのはママの方だと理解はしているんですけどね(;^_^A
全く、大人をからかって楽しんでいるのか
だとしたらコイツはかなりの知能犯だと言えそうです。
昨日の日曜日ランドセルを見に
柏方面へ向かって国道を走っていると
途中で「本土寺」の看板が出ていました。
松戸でも有名なこのお寺は
時期が来ると連日観光客で賑わっております。
他の季節はどうもパっとしないっていうか
寧ろ「閑古鳥」が上空を飛び回っている様子ですが
兎に角、松戸の観光スポットとして
名を馳せている次第です。
その看板を目にした我が家のドライバー
通称「飛ばしやの姫」(嘘)は一言
「本土寺ってあさがおで有名だったよね」
違~~~~~うっ!
紫陽花だよっ! あ・じ・さ・いっっ!!
「あ」しか共通点がないよっ!
そりゃぁ同じ花ですけど
色も似たようなモンですけど
アソコで所狭しと咲き誇っているのは
梅雨時の雨に良く合う風情の紫陽花です。
アサガオじゃぁ、
あの蔓はドコに巻きつけたらいいの
思わず辺りの木に蔓をウネウネ巻きつけながら
所狭しと咲いているアサガオを思い浮かべて
憂鬱な気分に浸ってしまいました。
第一アサガオじゃ観光客が来る時間には
咲いていないじゃないかぁっ! 意味無いって!
今日は4月から小学校へ通うおねぇちゃんのために
ランドセルを見に行って参りました。
そこで気になる物が「残り3個」となっていたので
下見のつもりが急遽購入する羽目に・・・・
遊女が居る所を「遊郭」と呼びますが有名な所は
時代劇でよく出てくる江戸の「吉原」
朝廷のお膝元京都の「島原」
商人の町大阪にある「新町」
この三箇所を俗に「三大遊郭」
と呼んでいたそうです。
一説には長崎の「丸山」を入れて四大遊郭とも言われます。
今回ワタシが興味を持ったのは吉原ですが
多少の事情の違いはあっても
各地で実態にそんな大差は無かろうかと思っています。
まず吉原がなぜ出来たのかと考えてみると
徳川家康が江戸の町を整備するに当って
欠かせないのが人足達です。
人足達の仕事の合間の楽しみといえば
今のようにネットやゲーム
があれば違ったでしょうが
当時はそんな娯楽は全く無かったので
多分「博打と女」だったと思います。
需要があれば供給も伴ってくるのは
いつの世でも当り前の事ですね。
そして、江戸の町が完備された頃でしょうか
遊女達を一箇所に集めて管理するという事で
出来たのが「吉原遊郭」です。
今でこそ吉原というと「浅草」を思い浮かべますが
最初は何と日本橋にありました。
当時は日本橋も海に近くて葦(あし・よし)が群生していたそうです。
葦の生えている原っぱに出来たので
最初は「葦原」と言う字を使っていました。
その後浅草に移転して名前も「吉原」となり
ワタシ達が時代劇で見掛ける「吉原遊郭」になったのです。
続きは また。
「ブラッディマンディ」に「デトロイト・メタルシティ」と
流石にワタシでも今日はTVから目を離せません!
遊女として名を馳せた(?)人といえば
源義経の愛人で有名な「白拍子」の静御前
出雲大社の巫女だったという触れ込みの出雲阿国など
それぞれそれまでと同様に旅をしながら
「芸」と時には「色」を商売にしていたようです。
その頃は「通い婚」から「嫁入り婚」へと変わっていました。
以前はあっちこっち女性の元を歩いていた男性達も
一応、本妻を持って本拠地を作るようになりました。
ワタシの個人的な偏見で考えると
嫁入りとはいっても所詮政略結婚が一般的で
以前のような自由恋愛は無くなりますので
男性にとっての疑似恋愛の相手として
一定の場所に女性が居る事は
非常に都合が良かったのではないでしょうか?
え!?お嫁に行った側の女性ですか?
女性は実家と婚家の橋渡しとして
政治的手腕を充分に発揮していました!
勿論今も昔も嫉妬深い妻は数多居たでしょうが
やはり女性の方が一枚ウワテで
上手にダンナサマを操っていたのだと思いますよっ!