不幸の方程式―藤原定子―
暦の上では本日「立冬」だそうです。
この2~3日の暖かさからすると信じられません!
父道隆没後は叔父である道兼が後を継ぎます。
中宮として定子も伊周を推していたでしょうが
やはり母后の意向がモノをいったような感じです。
そしてその後道兼が流行病で亡くなると
再び「母対妻」の戦いが始まろうとしていました。
最終的には「息子の寝室」まで押しかけるという
荒業で勝利を手にした母・詮子です。
その後伊周と隆家の兄弟が不祥事を起こし
「左遷」という名を借りた「流罪」になってしまいますが
その時とんだ愁嘆場が演じられます。
兄弟を憚って宮中を退出していた定子の元へ
逃げ込んでしまったのです!
当時のしきたりとして身分の高い人間、特に女性の居室へは
下級役人は立ち入る事が出来ません。
つまり、伊周達は絶対安全な場所へ避難したも同然でした。
しかし、一条帝から検非違使(けびいし・当時の警察官)へ
中宮の邸を捜索する許可が出てしまい
泣く泣く定子は兄弟たちと離れます。
隆家は諦めて任地へ向かいますが
伊周はその後も姿をくらまし、逃げ回り
人々は失笑さえして成り行きを見守っていました。
庶民にさえも呆れられるほどの醜態を曝してまで
伊周は逃げなければならなかったのか?
続きは また。
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| 歴史斜め読み | 21:06 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑