前回で終わった東三条院詮子ですが「負けた側」ともいえる
藤原定子について少し語りたいと思います。
父は兼家の長男藤原道隆・母は高階貴子(たかしなのきし・たかこ)で
生れ落ちたその時から将来の皇后候補でした。
後宮に入ったのは定子14歳の時で一条帝よりも3歳年長です。
とはいえ毎度御馴染の「数え年」今の年齢なら
13歳と10歳・・・中学生と小学生の夫婦ということになります。
オマケに顔も知らない同士ですがそんなことは当り前。
むしろ「深窓のお嬢様」として育てられますので
この時代、特に女性は顔と名前が世間に知られないよう
周りも本人も注意しています。
「年頃の娘が居る」とか「美人らしい」という
噂が先行して求婚したのはいいけれど
現実は違っていた・・・・なんてお話も実際にあったようです。
結婚したと言っても、中学生と小学生
では
ほんの「遊び仲間」だったでしょうし
定子も自分の身の上に不幸がやってくるとは
夢にも思わなかった事でしょう。
続きは また。
今月松戸市で起きた女子大生殺害・放火事件ですが
殺された女子大生の部屋の合鍵を複数の人が所持していたそうです。
内容はこちら
千葉大学園芸学部の4年生の荻野友花里さんが 今月22日、松戸市のマンション一室で 胸を刃物で刺されて殺害されたうえ、部屋を放火された事件で 現場となった荻野さんの部屋では ベランダの窓が開いていた一方で、玄関ドアは施錠されていました。
現場からは鍵が見つかっていませんが ドアの合鍵を持っている人物が複数いることが 警察への取材でわかりました。 |
若い女性の一人暮らしですから
ある意味「溜まり場」みたいになっていたんでしょうか?
それにしても普通はそんなに合鍵渡しませんよね
現場は我が家からも車で10分ほどの所。
決して遠い距離ではありません。
多分強盗目的ではないでしょうけど
身近で起こった物騒な事件だけに
犯人の行方が気がかりです。
日本の食卓に欠かせないもの・・・といえば
漬物 ですよねぇ!
我が家のばぁちゃんが健在だった頃
糠床もあって、季節の野菜を漬けていました
でも何故か「大蒜」が入っていた為
ワタシには食べる事が出来ませんでした
なぜなら
大蒜には「食べると鼻血」のイメージがあり
ワタシには苦手分野です。
自分では一夜漬けなどを作っていましたが
今年の春ごろにじぃちゃんが糠漬けを貰ってきたのを契機に
自分でもやってみよう と思い立ち(よっ!日本人!!)
今ではしっかり味の馴染んだ
糠漬けを食卓に並べられるようになりました。
でもねっ!
毎月じぃちゃんが温泉旅行のお土産に漬物を山ほど買ってくるので
中々出す機会も少ないのですがやっぱり手作りの漬物は
買って来たのよりも美味しい!?
添加物も入ってないので健康的!
チビ達はショッパイ漬物よりも
じぃちゃんが買ってくる甘い「たくあん」の方が
喜んで食べるんですけどね。
明日はキュウリと大根が食べごろだぁ!
最近は横着をしてチャリで駅まで行っていますが
今日はおねぇちゃんが小学校で
入学前の身体測定があるということなので
後ろに子供用の椅子をつけているママチャリを置いて
じぃちゃんが使っているチャリで出掛けました。
帰る時に気付いたのですが
このチャリはライトが点かない~~~~っ!!
タダでさえド近眼で鳥目のワタシが
ライトの点かないチャリに乗るというのは
暴挙というほかありません!
そこで、泣く泣く??
車を運転する時以外は絶対にしない
眼鏡を掛けてチャリに乗る決意を固めたんですが
インフルエンザ対策と自分の風邪気味のために
マスクをしている状態で眼鏡を掛けると
息で雲って何も見えない・・・という有様。
背に腹は変えられず、マスクをはずして
視力優先で帰ってきた次第ですが
普段は決して見ることが出来ない
星がよ~~~~~~く見えました!
昨夜の雨・風の勢いに今日の心配をしていましたが
何のことはない。。。台風一過の青空満開でした!
話は全然無関係ですが
以前じぃちゃんの「老人会仲間」が
家族(とはいっても夫婦二人だけ)で出掛けたお土産に
珍しい物をいただきました。
「塩羊羹」自体は珍しくもなんともないと思っていましたが
あけてビックリ!
白羊羹でした!!
白餡の羊羹もよくあるお話ですが
「白い塩羊羹」というものが
ワタシは初めてお目にかかりました!
世間様ではポピュラーなんでしょうか????
我が家では羊羹自体あまり買ってこないし
ましてや「白餡嫌い」なワタシが
白い羊羹を買うはずも無いので
本当に知らなかった次第です。
戴き物なので一応食べました。
ん~~~~っ。白餡!
そして、表記してある塩の風味は?????
よくワカリマセンでした
これは、ワタシが白餡に対して
構えて食べたから感じなかったのか?
それともマサカの「味覚障害」??
数日後、冷蔵庫の中で
半分砂糖と化している件の羊羹を
勿体無いので完食しましたが
やっぱりただ「甘い」だけでした。。。
ワタシの生涯において
こんなに沢山の白餡を食したのは初めての体験でした!
もう、体験したくないなぁ。。。。。。
先週末から愚図ついてきたお天気。
又々台風がやってきた模様です。
今日の帰りには風が強めに吹いていました
どうやら今夜中には通り過ぎていく様子ですが
明日の朝は大丈夫でしょうか??
風が吹くとすぐに運行不能となってしまう
常磐線
何といっても日本で2番目に長い利根川と
江戸川を渡るのが至難の業。
でも、前回の台風で都内へ行く路線が全滅の中
あの「つくばエクスプレス」だけは
普通に運行していた模様。
流石に最近の技術はスゴイ!
と思うと同時に
JRにもう少し頑張って欲しいと思う今日この頃です。
まぁ、常磐線は15両はアタリマエという
長~~~~い編成だから
風が吹くと止まるのは仕方ない???
我が家はお金も名声も
ありませんが
家族揃って日々を送れることが
一番の幸せだと思っています。
道長の時代の屋台骨を支えていたのは
この時期間違いなく詮子だったと思います。
一族に災いが起こらないように
政敵ともいえる人たちを懐柔したり
忘れ形見の子供の世話を買ってでたり・・・・・・
やっと道長の時代も軌道に乗ってきて
詮子自身も四十になりました。
勿論、数え年の四十ですから実際は三十代の終り頃ですね。
今ではまだまだ若いと思いますが当時はもう
初老と呼ばれる年齢でした。
日頃の恩顧を感謝する意味合いも兼ねて
道長が盛大に「四十の賀」というお祝いを催した矢先
詮子は病の床につきます。
慌てて一条帝がお見舞いに来た時には
もう臨終間近の状態でした。
その後の道長の栄華を見る事も無く
あの世へと旅立っていった詮子ですが
その一生は一家にとってはかけがえの無いものだったでしょうが
女として、妻として、母として見てみるとき
幸せと思っていたかどうかは
誰にも知る事は出来ません。