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玉の輿という不幸―東三条院詮子―

子供の頃親はワタシが「玉の輿」420に乗る事を期待していたそうですが、

「玉の輿」どころか見事に破れて帰って来ちゃいました13(ゴメン)

 

 

 

平安時代の有力貴族は皆さん争って

娘を天皇の元へ入内させようと躍起になります。482

我が娘がいずれ「男皇子」511を産んで、その子が天皇になった暁には

「外戚」として政治権力を掌中に収める事が出来るのです!442

 

 

詮子も「貴族の娘」として当然のように

時の帝、円融天皇(えんゆうてんのう)の女御となりました。465

詮子が入内した時は既に媓子(こうし・てるこ)皇后クラウン(中宮)で、

その他に遵子(じゅんし・のぶこ)女御としていました。513

お嫁入り当初から「女の戦い」は始まっていたのです。41

そこで「勝ち名乗り」32を上げる為に必要なのは

何としても一番最初に男皇子を産む赤ちゃんことです。

 

 

 

入内後2年ほどで目出度く第一皇子の

懐仁(やすひと・かねひと)皇子を出産しました460339

折りしも媓子皇后は前年に亡くなっていますので、お墓

当然の事ながら詮子自身も、父兼家も

次は自分達の番だと確信していました。jumee☆faceA191Ljumee☆faceA191R

 

 

ところがっ!

 

 

 

続きは     また。






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