今日は「土用の丑の日」と言う事で
鰻を食べるのが世間一般的に広まっていますが
一年通して「土用」の期間も夏場だけではなく、
春夏秋冬それぞれの季節の変わり目に18日間必ずあります。
したがって暦上「丑の日」も最低4回はある計算です。。。って事は
毎回鰻を食べるんかぃ??
貧乏人の我が家ではそう何回も食べてはいられません。
だから、せめて一年に一度の贅沢として
一応「日本産」との明記がありました。
実際のところは?????ですが
食べてしまえば皆同じ
美味しくいただきました。
色んな動物が持っている帰巣本能というもの
人間も「生まれた土地へ戻りたい」と思う人も多いと思います。
ワタシは根っからの方向音痴なので、知らないところへ行くと
戻ろうったって迷子になる可能性も無きにしも非ずですが。。。
伊予皇子を死に追いやった罪悪感からか
自らの政策を覆された腹いせか
平城帝は平安京を離れ旧都平城京へ移ってしまいます
そこへ薬子も同行してしまった為、
嵯峨帝側では異例の侍所長官不在という事態になります。
しかも薬子は補佐を勤める典侍の小野石子(おののいわこ)に対し
様々なイヤガラセをしてきます。
平城帝も遠く離れた奈良から嵯峨帝の政策に難癖をつけ始め
当時は実質的に「二所の朝廷」があったような有様。
この頃の太政帝は平安時代の上皇のような
飾り物的存在ではなく天皇と同等の権力を持つ存在でした。
同じ都に居れば事前に話し合いも出来るのですが
嵯峨帝にとっては非常に「やり難い」状況であったといえます。
そこに目を付けた平城帝は驚くべく詔を出しました。
都を奈良に戻すように
折角父桓武帝が築き上げ、今も造営中の京都を捨て
旧都に戻れと言うのです。
コレに対して嵯峨帝の出した答えは
続きは また。