最近は見かけなくなってしまいましたが
昔、ワタシがまだ純情可憐な子供だった頃に(そんな時代もありました)
この次期よくTVでやっていた「怪談話」、好きでしたねぇ。
政治に夢中だった頃は気にも留めませんが
思うような成果が得られなくなってくると
平城天皇は途端にやる気をなくしただけでなく
それが自分が死に追いやった異母弟の
伊予皇子の呪いだと思い込み
恐怖におびえる毎日となっていきます。
一度嫌気がさしたらもう全くやる気が起きません。
なんてったって純粋培養の「お坊ちゃま」ですから。
「自分が天皇で居ると呪い殺される」とまで思い込む始末。
そこには父桓武帝に謀反の罪をきせられた
叔父・早良皇子の面影が見えたかも知れません。
遂に在位わずか4年ほどで皇太弟の
神野(賀美野とも書きます)皇子に譲位してしまいます。
賢帝と呼ばれた 嵯峨天皇(さがてんのう)です。
折角手に入れた権力の座を意図も簡単に手放してしまう
薬子は側でハラハラして見ていたのかもしれませんね。
太政天皇(上皇)となった平城帝は体調が良くなってくると
自分の政策が悉く覆されていくのを観て
もう一度権力をてにしたくてたまらない!
勿論薬子やその一族も例外ではありません。
そこで・・・・・・
続きは また。
先週UPした分ですが、何という事か
誤って消してしまったので再度書き込みます。
同じ文章は当然無理ですが、同じところまでは持って行きます。
目出度く平城帝の元へ戻った薬子は
侍所(ないしどころ)と言う天皇の御言葉を伝える役所で
典侍(ないしのすけ)から長官職である尚侍(ないしのかみ)へと
順調に昇進していきます。
薬子のクチから出た言葉はすべて天皇の御心となり
異論を唱えたら即、天皇に対して「謀反の心あり」とされてしまう。
薬子はやりたい放題も可能な立場だったといえます。
薬子の身内も異例の出世を果たします。
兄の仲成(なかなり)はともかく、夫である縄主(ただぬし)も例に漏れません。
自分の妻が不貞を働いたのにそのおかげで出世するなんて
まるでTVドラマのようですが
当時の結婚は「通い婚」が基本形態で「夜を共にするだけの仲」。
男も複数の通い所を持つのが当たり前の時代です。
妻の不貞云々よりもむしろ
それで出世が出来れば万々歳といった所でしょうね。
こ頃の薬子は得意の絶頂だったともいえます。
このまま「薬子の天下」が順調に行くと
誰もが思っていた矢先・・・・
続きは また。