ちょっと寄り道しませんか?

愚痴や気が付いた事等を書いていきますのでちょっと寄ってってね♪

2009年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年06月

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合葬と後嗣問題―推古天皇―

ワタシも最近やっと「親の有難さ」がわかったような気がします。421

せめて、生きている間に出来る事はしてあげたいと思います。

 

推古天皇が出した詔87とは一体何か。。。というと

父欽明天皇の墳墓に母である堅塩媛(きたしひめ)を合葬する事でした。お墓

しかも、石室(石棺を安置する場所)の正殿ともいえる奥の間に

母堅塩媛の石棺を置いてしまったんです。線香

父天皇の石棺は入口の方に移動させられました。118

 

 

なぜ、こんな事をしたのでしょう?

一説には母を敬う事によって自分の権威を強調する為と言われています。おかあさん

それもあるでしょうが、

蘇我稲目の娘である母親を正殿に据える事で

「蘇我氏の血筋が皇位を継承する」32

と宣言したかったのではないでしょうか

 

当時皇太子の地位にある厩戸は両親共に蘇我氏の血を引いています。

しかも、厩戸皇子の長男山背(やましろ)皇子の母は205

蘇我馬子の娘の刀自古娘(とじこのいらつめ)ですから513

 

 

しかし、女帝より先に厩戸皇子が亡くなってしまい

後嗣問題は白紙に戻ってしまいます。がーん2

この時点で何故、厩戸皇子の息子の山背皇子に決まらなかったかというと

馬子の息子の蝦夷を始めとする「豪族」たちが反対したのではないでしょうか464

「どんな身分であっても同じ人間だ」という厩戸皇子の考えは

「農民は牛馬と同じ」とする豪族達とは相反していましたから・・・358

 

女帝の息子の尾張皇子もすでに他界しています。

 

次に皇位に就くのは?  女帝の真理は?20 

 

続きは       また。



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| 歴史斜め読み | 17:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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温泉旅行記

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東武ワールドスクウェアへ来ましたっ!(・ω・)!!

| 家族の徒然 | 14:07 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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大いなる誤算―推古天皇―

世の中には「自分の子供さえ良ければ」という親が多いようで

所謂“モンスターペアレント”とか“ボスママ”とか呼ばれています。

 

初の女帝となった推古天皇もどちらかというと

そういう類の人だったような気がします350

 

 

厩戸皇子(聖徳太子)が馬子と共に政治を行ったとしても

女帝の希望は飽くまでも我が子竹田皇子の即位でした。20

しかし、何とした事でしょう。女帝が即位して間もなく

 

病弱だった竹田皇子は若くして亡くなってしまいますお墓

 

現代でも子供に先立たれた親のショックは大変なものです。

ましてや、溺愛していた竹田皇子が居なくなってしまい

女帝は狂わんばかりに悲しみます。絵文字名を入力してください

 

 

女帝が生んだ男の子は他に尾張皇子(おわりのみこ)がいますが

長男の竹田皇子に掛けた期待が大きすぎたのか

尾張皇子自身がおとなしい性格だったのかは分かりませんが

あまり「歴史の表面」には出てこないようです。87

 

 

そうそう、この時代に「任那日本府」を復興しようと

新羅に出兵させる計画があったとかいいますが、295

そもそも任那(伽耶。かや)には

日本が派遣した政府の出先機関というものがあった事自体

疑問視される傾向があります。

この出兵は本当にあったのでしょうか?jumee☆whyR

日本は朝鮮半島に対して

本気で戦争を仕掛けるつもりだったんでしょうか???26

馬子の出自が「百済人」との説もありますが

もし、そうならこの出兵は馬子の差し金かも知れません・・・450

 

 

後に厩戸皇子は有名な“遣隋使”を派遣(小野妹子)し、隋の使者を迎えたり

 

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。

                                               恙(つつが)無きや」

という有名な国書を送ったのもこの頃です。

一方、朝鮮半島との交流を推進する馬子と

外交面から徐々にが出来てきます。 

 

そして、、、、

 

 

 

女帝の人生はというと、

竹田皇子だけでなく、厩戸の妃となった長女菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)

子供を生まないまま早世してしまったり282

女帝自身は長寿ですが、次々に子供達に先立たれ

寂しい晩年を迎えようとしていました259

 

 

そして、女帝が出した詔(みことのり)が物議を呼ぶ事になります

 

 

続きは       また。

 

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| 歴史斜め読み | 09:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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