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日記を閉じてから・・・・感想文??

道綱の母は40歳以降どの様な人生を歩んだか?
残念ながらソコのところは書いてありません。 
40歳目前の大晦日を最期にこの日記は終わっています。295
(彼女自身はその後20年余り生きています。)



それまでの経緯を見ると兼家さんは
ヘソを曲げて出掛けた妻を出迎えたり
山篭りの最中に何度も迎えを寄越したり
他にも通い所がたくさんあるというのに
「ずいぶんマメな人」の印象を持ちそうですが
当時としてはアタリマエのことなんですねぇ グー!


沢山の妻を持つ以上はどの妻もないがしろにしない jumee☆foryou2b


それがルールなんです。 


「でも、他の愛人に夢中で道綱の母を見向きもしなかった」 359
と言われそうですが、決してそうではありません。
確かに通っている女が何人もいるので
しょっちゅう道綱の母の所ばかり行っていられない。 
新しい若い女に比重がおかれるのも仕方が無いことです。
道綱の母も「見捨てられた」訳ではないので
たまには泊りにも来るし、だからこそ
仕立物の依頼もして来るのです。


それが、平安時代 ビックリ


けれども、道綱の母はそうではなかった
「三十日三十夜は我がもとに」というように
自分は夫にとって“ただ一人の妻”でありたかった
今は当然(だと思います)の事でも
当時はこんな考え方は根本的に無かったんです。



ワタシが見る限り、やり方としては「上手くない」ですが351
彼女なりに必死だったのでしょう(あまりにも必死すぎて滑稽でもあります)



もしかしたら道綱の母という人は 
「現代人の心を持って生きた平安時代の女性」
だったのかもしれません。



次回は最初の女帝について。。。。の予定ですケド(どぉなるか?)予約
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