チバジマは知事選挙を明日に控え
候補者が「最後の追い込み」に必死でしょうね。
今回は大昔の
「政治家の妻」でもあり、
母でもある人の紹介をします。
嘆きつつ独り寝る夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る 百人一首にも出てくるこの歌の作者
名前は伝わっておりません。
この時代は
女性の名前をそのまま呼ぶ事はなく
肉親の役職名である
○○式部とか○○納言とか
親や夫の役職若しくは住んでいる場所等々・・ですね。
平安時代の代表文学「源氏物語」でも
本名が書かれている人物は居ません。
それは
、「本名を知らせる」事がタブーとされていたのであって、
決してあの紫式部サン(勿論本名ではありません)が
ロマンチックに浸って作ったわけではなく(実際、すばらしい呼び名のオンパレードですが)
こういう呼び方が
当 然だったからです。
この「道綱の母」は何故有名かというと、
歌が巧みで
(勿論、三十一文字の和歌です)文才もあり、
しかも
「王朝三美人」の一人とされるほどの美貌だったそうです。
そして、何よりも
「かげろふ日記」の作者として
現代にも通じる
“女の嫉妬”の辛さ・切なさを綴った人です。 
彼女の結婚相手は藤原兼家といい、平安時代の栄華を極めたと言われる
藤原道長のお父さんです。
尤も、道長は彼女の産んだ子供ではなくて
“もう一人の妻”
である時姫が母親です。
この兼家との馴れ初め
や、 結婚後、彼女が味わう「苦しみ」「悲しみ」については また、明日・・・
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