先週は
孝謙天皇の即位までを書きました。
今回は
“即位後”のエピソードを少し・・・
天皇に即位したとはいえ、政治的権限は母の光明皇后と
従兄にあたる
藤原仲麻呂が取り仕切っていました。
(父親の聖武太政天皇は政治には関心がなかった) この、仲麻呂と女帝の間に
「愛人関係」

があったとも云われます。
いつからか・・・?
女帝は仲麻呂に恋心を抱いていたでしょうが関係ができたとすれば
多分
父の聖武太政天皇が崩御した後だと思います。
聖武太政天皇は、
女帝に子供が居ない(独身ですから)ので
その後を継ぐ皇太子に道祖王
(ふなどおう)を指名しますが
崩御後にコレを覆しているのです。 その理由というのが
聖武太政天皇の喪中に
宮中の女官と密通したとか
若い男と関係が有るとか etc・・・
もし、自身が仲麻呂と
「愛人」関係があるなら
廃太子の理由としては弱い(当時、男色は特にフシダラとは思われていません)
やはり
「清い身」だからこそ・・ではありませんか
その後皇太子として女帝が指名したのは
大炊王(おおいおう) 彼は、
仲麻呂の長男の妻の再婚相手。 ややこしいですが、所謂女婿
(じょせい・むすめむこ)義理の息子同然だったのです。
「好きな人が喜ぶ事をしてあげたい」思いだったのでしょう
其の証拠にそれからの彼女は仲麻呂に対して
大盤振る舞いをしていきます。

他の藤原一族よりも天皇家との関係を強調する為に
「恵美押勝」(えみのおしかつ)という名前を与え、
その印を押した文書を
「公式文書」として認め、
貨幣鋳造
まで許可しました。
これでは、仲麻呂の
「やりたい放題」「稼ぎ放題」です
(羨ましい)
そして、云われるがまま譲位します。
即位したのが例の大炊王、
淳仁天皇です。
身内同然の淳仁帝の誕生で仲麻呂は有頂天。
自ずから女帝に対しての態度が豹変します。
頼りにしていた母の光明皇后も亡くなってしまい
ショックを受けた女帝は
病気
になってしまいます。
そんな
女帝を「治療する」為に呼ばれた僧侶
(当時の治療法は加持祈祷)というのが。。。
続きは、また。
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