ちょっと寄り道しませんか?

愚痴や気が付いた事等を書いていきますのでちょっと寄ってってね♪

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明治百五十年

関東は昨日の午後から強風が吹いて
荒れ模様の週明けとなっております

大河ドラマの「西郷どん」も江戸に出てきて
いよいよ明治に向かって動きそうですね

明治といえば今年は「明治150年」だそうです
そこで(え?)予てから気になっていたアノヒト!
いつも見に行こうと思っていても途中で迷子になって
その場所すらあやふやだったんですが
遂に!というかやっと辿り着く事が出来ました!!









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| 歴史斜め読み | 19:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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王朝の母?~橘三千代~

フィギュアスケート男子で羽生選手が金メダ
宇野選手が銀メダルという快挙で
益々盛り上がって来ていますね~!

文武天皇亡き後を継いで母の元明天皇の孫である
首皇子のオクガタにはわが娘安宿媛ですから
いよいよ「我が家の時代」到来ですが
ここで大ドンデン返し!?w(゚o゚)w
まさかの元正天皇の登場で暫くオアヅケです

それでも三千代は不比等が亡くなってしまっても
藤原家の屋台骨が揺るがないように
不比等の息子たちと共に後の文武天皇と
娘の安宿媛を支えていきましたヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
おかげで皇族出身でなければなれなかったのに
半ば強引に初の藤原家出身の皇后にしました

何故こうまで「橘氏」ではなくて
敢えて「藤原氏」をバックアップしたんでしょう?

既に朝廷においてそれなりの地位を築いた藤原氏の方が
頼りになると考えたんでしょうか?
でも息子の諸兄も文武朝廷では大臣になっていますから
どっちに権力が行っても「自分の身内」若しくは
それに近い間柄・・・という訳なんでしょうかね~
本当に抜け目のない人だと思います

その後の藤原氏の派手な様子に比べて
中々目立たない「橘氏」ではありますが
それなりに歴史に影響を与えていますから
やはり三千代さんは侮れません!
ある意味「日本の礎」を築く事に
かなり関与していた人ではありますね~(#^.^#)

物凄い駆け足ですけど
私にとって橘三千代の人となりが
少し見方が変わった???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

いや!やっぱりちょっと苦手だわ!

| 歴史斜め読み | 00:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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真相は謎!?~橘三千代~

何だか今月は慌しいと思っていましたが
2月は日にちが少ないからそう感じるんでしょうか?
それとも歳を取ると月日の経つのが速く感じるから??

不比等の娘・宮子が皇子を産んだ後で
何故か心的障害に陥ってしまい
長いことわが子にも対面しなかったとか・・・

穿った見方をすれば「幽閉」されていたのかも??
という説も有るような無いような。。(*`・з・´)ドッチダヨ!?
当然ながら真相を知っている人は誰も生きていないので
人それぞれの解釈があって良いとは思います
彼女が元気では都合の悪い人も・・・ゲフンゲフン!

それはさて置き(え?)首皇子はいわば
藤原氏出身の娘が産んだ子で
それまでの天皇は母方が皇族であるというのが
即位するときの重要条件だったので
異例の出来事なんですね~

正式な皇后(皇族出身が条件)が居なかった(こちらも諸説アリアリ)文武天皇には
藤原氏出身の宮子の他のオクサマとしては
石川氏出身の刀子娘と紀氏出身の竈門娘が居ましたが
二人とも理由は分かりませんが
突然その地位を剥奪されてしまいました

因みに藤原宮子は「夫人」で後の二人は「賓」
位の順で言えば「妃」「夫人」「賓」と続きます

どうしていきなりそんな暴挙(?)に出たか?というと
やはり刀子娘が産んだ二人の皇子に対する牽制でしょうね
位は宮子の方が上でも石川氏は持統天皇の祖父に当たる
倉山田石川麻呂と遠い血縁でもあったのかもしれません

この処遇に関しては三千代も何らかの形で関係ありそう
だってライバルの皇子が居なくなってしまえば
跡を継ぐのは宮子が産んだ首一人!
しかも乳母は自分!
自分が産んだ娘も一緒に手元で育てれば
いずれはおキサキの一人に上げる事も出来る!!
何て磐石な布石でしょうね~
自身の出産さえも武器になるとは運が強いとしかいえません!

こうして長年皇室に仕えたご褒美として頂くのが「橘」の姓です
ですから正式には 「県犬養橘三千代」という
長ったらしい名前になったんですね~

余談ですがこの時代に天皇から姓を下賜されるというのは
それはそれは名誉な出来事でしたので
前夫の美努王との間の子である葛城王と左為王も
後々「橘」の姓を名乗っていますね

さ~いよいよ橘三千代として忙しく立ち回り
まさに「わが世の春」といった時代がやってきそうです!



つづきはまた!

| 歴史斜め読み | 12:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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なんという間違い!~橘三千代~

昼間は暖かくなりましたが
夜になって大分寒くなりましたね~
春はまだ遠いんでしょうか・・・

昨日始まった久し振りの歴史話に
とんでもない間違いがありました!
それは・・・当の人物の名前!
橘三千代さんが正しいんです!
決して美千代さんではありません!スミマセン!

正しい名前を表記出来たところで早速昨日の続きを。。

夫の美努王と疎遠になった後で
美千代の新しい夫となったのは・・
藤原不比等です
藤原氏の祖である鎌足の息子
壬申の乱の時には父の鎌足はもう故人でしたが
一族は当然ながら反天武側だったので
字際に戦に参加しなかった不比等も
それまで中々表舞台で活躍出来なかったでしょう
ここで天皇家の乳母である女性と結婚すれば
一気に逆転できるだろうと考えたのでしょうか?

三千代としても天皇家の中で働けるとはいえ
家柄的にその身分には限度があったでしょう
元夫の美努王は天皇家の血筋とはいえ
主流からは外れていた事でしょうし
野心満々の不比等と組んだ方が
三千代としてもメリットがあったのかもしれませんね
いずれにしても人を見る目は確かでしたね~!

三千代の後押しがあったかどうか
不比等はドンドン出世していきます
娘の宮子を文武帝の後宮に入れました

文武帝に男児の首(後の聖武天皇)が誕生した頃と前後して
不比等と三千代の間には女児が生まれました
後の光明皇后になる安宿媛です
これで二人はもう「勝ったも同然!」ですね!

当然のように生まれた皇子首にも乳母として仕え
益々天皇家からの信頼も厚くなってきた事でしょう
後は生まれた皇子が大きくなって帝位を継ぐのを待つばかり
そんな順風満帆な毎日ですがとんだドンデン返しが!Σ(ω |||)



つづきはまた!

| 歴史斜め読み | 21:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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戌年なので~橘美千代~

夜になって雨が降り出した関東ですが
気温が高めみたいなので
雪にならないのが救い(?)ですね~

今年は戌年という訳なので(え?)
お正月からずっと気になっている人を
ちょっと語りたいとずっと思っていました
久し振りに日本史のお話です!ヽ(≧∀≦)ノ

実は私はこの人が余り好きではなかったんです
飛鳥時代から繁栄してきた蘇我氏から
鎌足をはじめとする藤原氏が取って代わるまでの
実際の功労者と言っても過言じゃありません!
寧ろ彼女が居なかったら平安時代も来なかったかも~?
それ位時代を作り上げた人といえますね!

私は蘇我馬子サマがご贔屓なので
歴史の流れとはいえ。。。複雑。。なんです(´・_・`)

それはさて置き(え?)なぜ戌年にこの人かというと
この方の「橘」という姓は元々ではなくて
当時の元明天皇より賜った由緒ある姓で
出自は県犬養という家なんですね

そこでこの県犬養氏というのはどういう家なのか?
ちょっと調べてみましたところ
天皇家の犬を文字通り飼育する家みたいです

当時の犬は今のようなペット(家族?)ではなく
狩猟犬とか家畜や作物を守るための番犬ですから
やはり無くてはならない存在だったんでしょう
県犬養家は壬申の乱の折に天智側ではなく
天武側の見方をしたという功績で
女官として天皇家に仕えることになります

美千代は最初敏達天皇系の美努王と結婚して
葛城王(橘諸兄)、左為王(橘左為)、牟漏女王を産み
後の文武天皇の乳母として勤める事になります

天皇家の懐に深くかかわりを持つようになった美千代は
最初の夫である美努王とも疎遠になりますが
そんな美千代に近付いて来る人影が!?Σ( ̄。 ̄ノ)ノダレ?


つづきはまた!

| 歴史斜め読み | 22:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アントワネット豆知識!?

今年のお仕事無事終了~~~~しました~!(* ´ ▽ ` *)ナガカッタ!
明日からいよいよラストスパートでお正月の準備です!!

マリーアントワネットについて書き漏らした事をいくつか書いておきます

フランス料理が美味しくなった!?
アントワネットがお嫁入りのときに連れてきた料理人のおかげで
それまで美味しくなかったフランス料理が今のように美味しくなった?
特にお菓子が劇的に美味しくなったとか(=゚ω゚)ナラナカッタトカ?

いい湯だな
アントワネットが祖国オーストリアから
美味しい料理と共にフランスに持って来たものが「入浴の習慣」です
ベルサイユ宮殿には浴室そのものが無かったので
彼女は自室にバスタブを設置して中に布を敷いて
毎日入浴を楽しんだそうです
それまでフランスでは動物性のムスクとか強い香料で
体臭を誤魔化していましたが入浴の習慣が入ってきた事で
植物性のコロンでも充分になってきたとの事!
それまでのフランス人ってどんだけキツい体臭だったんでしょうね!?
まぁ、この頃はトイレも無くってオマルの中にいたして
それを窓から投げ捨てていたのでハイヒールを履いて歩かないと
踏んでしまって服の裾もとんでもない事になってしまったんですって!

デュ・バリー夫人事件
当時は身分の低い人が身分の高い人に
自分から声を掛けてはいけないという風習だったそうで
国王ルイ15世の寵妃デュ・バリー婦人を嫌っていたアントワネットは
長い間一言も声を掛けなかったので、国交の危機にまで及び
母親のマリア・テレジアに親子の縁を切る!とまで言われ
仕方なくかけた一言「今日はベルサイユは混雑していますこと」
こんな独り言のような言葉でもデュ・バリー夫人は大喜びだったそうです

注目の的
デュ・バリー夫人との確執もそうですが
王大子妃としてその生活のすべてが「見られている」アントワネット
朝の目覚めから始まって食事も着替えも何もかも
貴族たちは「見る」事を許されていましたから
その部屋の周りには幾重にも人が集まっていたといいます。
極めつけは初めての出産の時でしょう
余りにも見学人が多すぎたせいで(?)出産直後に酸欠状態になったとか・・・・
いくら当時と今では常識の尺度が違うとはいっても
自分が子供を産み落とすところなんて・・・・・
医師でも助産師でもない赤の他人に見られたくないなぁ・・(--;)ダンナデモイヤダワ・・

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵
ベルサイユで開催された仮面舞踏会で出会い
アントワネットの愛人と云われた人ですが
さて、実際はそんな関係があったんでしょうか?
中世の騎士みたいに忠誠を誓いながら
決してそういう関係にはならなかったと思います
アントワネットの「王妃」としてのプライドも
そういう関係を許さなかったと考えていますけど。。どうでしょうかね?
まぁ、最後まで信頼できる人は彼だけだったとは思います

首飾り事件
ラ・モット夫人という怪しげなご婦人が
アントワネットに嫌われているロアン枢機卿に
王妃が代理購入して欲しいといっていると騙し
分割払いの一部を貸す形にして支払い
まんまと首飾り共々持っていかれてしまう
宝石商ベイマーが首飾りを渡したのに支払いがされないと訴え
国王と王妃の耳の入り詐欺事件が発覚する
王妃はこの事件においては名前を騙られた被害者なのだけれど
国民の中には首飾りが欲しかった王妃が一枚噛んでいて
事件が発覚したのでラ・モット夫人と枢機卿に罪を擦り付けたと噂したとか・・

赤字夫人
首飾り事件があったからという訳でもありませんが
アントワネットの度重なる浪費の話が流れる度に
日頃から重税に苦しんでいる庶民が付けたあだ名です
確かに賭け事に目の玉が飛び出る程のお金を使ったり
物凄く奇抜なファッションを流行らせたり・・と
云われても仕方ない部分は多々あるかもしれませんが
この頃のフランス政府はそれまでに何度も起こしてきた戦争によって
とっくの昔に国庫は破綻している状態だったんです
ですからもし、国王夫妻が爪に火を灯すような生活をしても
既に「焼け石に水」だったと思います。
だからといってやはり余りにも使いすぎの感じはしますけどね~

パンが無ければ・・・
アントワネットが言ったとされる一言
「パンが無ければお菓子を食べたらいいじゃない」
こんな下衆い台詞は王妃は言いません!
もっとも当時のお菓子は甘くなくてパンの代用食だったそうですから
日本式に云えば「ご飯が無ければウドンでも食っとけ」ですかね?

バルコニーでお辞儀
革命後にベルサイユ宮殿まで武器を手にした庶民が押しかけ
「王妃を出せ」と口々に叫んでいる中で
アントワネットはバルコニーへ出て一礼します
その凛とした姿に心を打たれ一瞬静まりますが
騒ぎはますます大きくなるばかりで
「一家の安全を図るため」にパリへ移る事が決まります。
もしも・・ですがここで国王が衛兵に庶民を蹴散らすよう命令をしていたら
革命自体がそこまでで終結した・・・・かもしれません(カモ貝?)

こんな所ですかね~(^o^;)ツカレタ・・
生涯にたった一冊の本を読むこともなく
その生活振りが批判されても仕方が無かったとはいえ
ごく普通の女性だったアントワネットが王妃になって
何をしても諌める人が居なかったために羽目を外し過ぎて
全て思い通りにいく!と思っていた矢先に
革命が起きて・・・・あっという間にその人生が狂ってしまう
歴史に翻弄された女性の悲劇ですね~

では、また!次は日本の女性のお話を探しておきます(*・`ω´・)ゞ

| 歴史斜め読み | 16:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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王妃らしく気高く~マリーアントワネット~

例年なら今日は仕事納めなんですが
なぜか?今年は1日多く働く事に・・・
会社がまだ休まない!と言えば
私も出社しない訳にもいきませんから・・・(--;)ヤスミタイ・・

いよいよマリーアントワネットの生涯も大詰めになって参りました

夫のルイ16世が処刑され跡を継ぐべき息子とも引き離され(つД`)ノ
自分も夫と同じ運命を辿るんだと悟っていたでしょう

裁判のためにコンセルジュリーに移送され
「結果が決まっている」裁判が始まります
国庫を傾ける浪費や国を裏切る行為があったとか
でっち上げと言っても過言ではない責め方だったようです
それでもアントワネットは王妃の威厳をもって反論するので
終いには身に覚えの無い息子に対する虐待まで出してきました
アントワネットは全ての母親にそのような事があるはずないと訴えます
その姿に女性達は心を動かされますが
如何せん処刑は決定事項なのです

アントワネットはルイ16世の妹に宛てた遺書で
「罪人にとって処刑される事は恥ずべき事でも
自分は罪を犯していないのだから何も恥ずかしくは無い
あなたのお兄さんにお会い出来ることを考えると寧ろ誇らしい」
とし
息子ルイ・シャルルには夫の遺書にもあったと同じように
「決して敵を討とうなどと考えないように」と書き残します

運命の当日はギロチンの邪魔にならないように髪を短く切られ
後ろ手に縛られ荷馬車に揺られて処刑場へ向かいます

ギロチン代の階段を上るときに履いていた靴が脱げ
処刑人の足を誤って踏んでしまい
「ごめんなさい。でもわざとではないのです」と言い残し
最期まで王妃としての気品を失う事が無かったそうです。

マリー・アントワネットが王妃になったのが違う国だったら
せめてもう少し大人になって周りに流される事もなく
自分の目でしっかりと国と国民を見つめていたら・・
子供達に囲まれてその人生を全うできたかもしれない・・
いや、それよりも時代が彼女を生贄に望んだのかもしれません・・・・

大分駆け足ですが大体の流れはお終いです

次回は書き損なった事件や出来事をざっと紹介したいです

| 歴史斜め読み | 21:53 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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