ちょっと寄り道しませんか?

愚痴や気が付いた事等を書いていきますのでちょっと寄ってってね♪

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

アントワネット豆知識!?

今年のお仕事無事終了~~~~しました~!(* ´ ▽ ` *)ナガカッタ!
明日からいよいよラストスパートでお正月の準備です!!

マリーアントワネットについて書き漏らした事をいくつか書いておきます

フランス料理が美味しくなった!?
アントワネットがお嫁入りのときに連れてきた料理人のおかげで
それまで美味しくなかったフランス料理が今のように美味しくなった?
特にお菓子が劇的に美味しくなったとか(=゚ω゚)ナラナカッタトカ?

いい湯だな
アントワネットが祖国オーストリアから
美味しい料理と共にフランスに持って来たものが「入浴の習慣」です
ベルサイユ宮殿には浴室そのものが無かったので
彼女は自室にバスタブを設置して中に布を敷いて
毎日入浴を楽しんだそうです
それまでフランスでは動物性のムスクとか強い香料で
体臭を誤魔化していましたが入浴の習慣が入ってきた事で
植物性のコロンでも充分になってきたとの事!
それまでのフランス人ってどんだけキツい体臭だったんでしょうね!?
まぁ、この頃はトイレも無くってオマルの中にいたして
それを窓から投げ捨てていたのでハイヒールを履いて歩かないと
踏んでしまって服の裾もとんでもない事になってしまったんですって!

デュ・バリー夫人事件
当時は身分の低い人が身分の高い人に
自分から声を掛けてはいけないという風習だったそうで
国王ルイ15世の寵妃デュ・バリー婦人を嫌っていたアントワネットは
長い間一言も声を掛けなかったので、国交の危機にまで及び
母親のマリア・テレジアに親子の縁を切る!とまで言われ
仕方なくかけた一言「今日はベルサイユは混雑していますこと」
こんな独り言のような言葉でもデュ・バリー夫人は大喜びだったそうです

注目の的
デュ・バリー夫人との確執もそうですが
王大子妃としてその生活のすべてが「見られている」アントワネット
朝の目覚めから始まって食事も着替えも何もかも
貴族たちは「見る」事を許されていましたから
その部屋の周りには幾重にも人が集まっていたといいます。
極めつけは初めての出産の時でしょう
余りにも見学人が多すぎたせいで(?)出産直後に酸欠状態になったとか・・・・
いくら当時と今では常識の尺度が違うとはいっても
自分が子供を産み落とすところなんて・・・・・
医師でも助産師でもない赤の他人に見られたくないなぁ・・(--;)ダンナデモイヤダワ・・

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵
ベルサイユで開催された仮面舞踏会で出会い
アントワネットの愛人と云われた人ですが
さて、実際はそんな関係があったんでしょうか?
中世の騎士みたいに忠誠を誓いながら
決してそういう関係にはならなかったと思います
アントワネットの「王妃」としてのプライドも
そういう関係を許さなかったと考えていますけど。。どうでしょうかね?
まぁ、最後まで信頼できる人は彼だけだったとは思います

首飾り事件
ラ・モット夫人という怪しげなご婦人が
アントワネットに嫌われているロアン枢機卿に
王妃が代理購入して欲しいといっていると騙し
分割払いの一部を貸す形にして支払い
まんまと首飾り共々持っていかれてしまう
宝石商ベイマーが首飾りを渡したのに支払いがされないと訴え
国王と王妃の耳の入り詐欺事件が発覚する
王妃はこの事件においては名前を騙られた被害者なのだけれど
国民の中には首飾りが欲しかった王妃が一枚噛んでいて
事件が発覚したのでラ・モット夫人と枢機卿に罪を擦り付けたと噂したとか・・

赤字夫人
首飾り事件があったからという訳でもありませんが
アントワネットの度重なる浪費の話が流れる度に
日頃から重税に苦しんでいる庶民が付けたあだ名です
確かに賭け事に目の玉が飛び出る程のお金を使ったり
物凄く奇抜なファッションを流行らせたり・・と
云われても仕方ない部分は多々あるかもしれませんが
この頃のフランス政府はそれまでに何度も起こしてきた戦争によって
とっくの昔に国庫は破綻している状態だったんです
ですからもし、国王夫妻が爪に火を灯すような生活をしても
既に「焼け石に水」だったと思います。
だからといってやはり余りにも使いすぎの感じはしますけどね~

パンが無ければ・・・
アントワネットが言ったとされる一言
「パンが無ければお菓子を食べたらいいじゃない」
こんな下衆い台詞は王妃は言いません!
もっとも当時のお菓子は甘くなくてパンの代用食だったそうですから
日本式に云えば「ご飯が無ければウドンでも食っとけ」ですかね?

バルコニーでお辞儀
革命後にベルサイユ宮殿まで武器を手にした庶民が押しかけ
「王妃を出せ」と口々に叫んでいる中で
アントワネットはバルコニーへ出て一礼します
その凛とした姿に心を打たれ一瞬静まりますが
騒ぎはますます大きくなるばかりで
「一家の安全を図るため」にパリへ移る事が決まります。
もしも・・ですがここで国王が衛兵に庶民を蹴散らすよう命令をしていたら
革命自体がそこまでで終結した・・・・かもしれません(カモ貝?)

こんな所ですかね~(^o^;)ツカレタ・・
生涯にたった一冊の本を読むこともなく
その生活振りが批判されても仕方が無かったとはいえ
ごく普通の女性だったアントワネットが王妃になって
何をしても諌める人が居なかったために羽目を外し過ぎて
全て思い通りにいく!と思っていた矢先に
革命が起きて・・・・あっという間にその人生が狂ってしまう
歴史に翻弄された女性の悲劇ですね~

では、また!次は日本の女性のお話を探しておきます(*・`ω´・)ゞ
スポンサーサイト

| 歴史斜め読み | 16:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

王妃らしく気高く~マリーアントワネット~

例年なら今日は仕事納めなんですが
なぜか?今年は1日多く働く事に・・・
会社がまだ休まない!と言えば
私も出社しない訳にもいきませんから・・・(--;)ヤスミタイ・・

いよいよマリーアントワネットの生涯も大詰めになって参りました

夫のルイ16世が処刑され跡を継ぐべき息子とも引き離され(つД`)ノ
自分も夫と同じ運命を辿るんだと悟っていたでしょう

裁判のためにコンセルジュリーに移送され
「結果が決まっている」裁判が始まります
国庫を傾ける浪費や国を裏切る行為があったとか
でっち上げと言っても過言ではない責め方だったようです
それでもアントワネットは王妃の威厳をもって反論するので
終いには身に覚えの無い息子に対する虐待まで出してきました
アントワネットは全ての母親にそのような事があるはずないと訴えます
その姿に女性達は心を動かされますが
如何せん処刑は決定事項なのです

アントワネットはルイ16世の妹に宛てた遺書で
「罪人にとって処刑される事は恥ずべき事でも
自分は罪を犯していないのだから何も恥ずかしくは無い
あなたのお兄さんにお会い出来ることを考えると寧ろ誇らしい」
とし
息子ルイ・シャルルには夫の遺書にもあったと同じように
「決して敵を討とうなどと考えないように」と書き残します

運命の当日はギロチンの邪魔にならないように髪を短く切られ
後ろ手に縛られ荷馬車に揺られて処刑場へ向かいます

ギロチン代の階段を上るときに履いていた靴が脱げ
処刑人の足を誤って踏んでしまい
「ごめんなさい。でもわざとではないのです」と言い残し
最期まで王妃としての気品を失う事が無かったそうです。

マリー・アントワネットが王妃になったのが違う国だったら
せめてもう少し大人になって周りに流される事もなく
自分の目でしっかりと国と国民を見つめていたら・・
子供達に囲まれてその人生を全うできたかもしれない・・
いや、それよりも時代が彼女を生贄に望んだのかもしれません・・・・

大分駆け足ですが大体の流れはお終いです

次回は書き損なった事件や出来事をざっと紹介したいです

| 歴史斜め読み | 21:53 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

忘れていた訳ではありません~マリーアントワネット

今月の初め位に突然はじめた世界史(?)
マリーアントワネットの生涯ですが
すっかりご無沙汰しているうちに年末!?
あまりにも放置プレイが過ぎるので
年内にチャッチャと終らせてしまいたいと思います!((´・ω・`;))ガンバル!

フランス革命というと先ず思い浮かぶのが
バスティーユ牢獄の襲撃でしょうか?
これ以降武器を持った庶民が暴徒と化し
各地で貴族や領主を襲い始めます
その群集はベルサイユ宮殿を目指し
「王族の安全確保のため」という名目で
国王一家はパリのチュイルリー宮殿へつれていかれます

そして有名な(?)一家の脱出劇!
国境まであと少し!という所でこの脱出は失敗
一家はつかまり再びパリへ連れ戻されます・゚・(つД`)・゚・
その時にマリーアントワネットの髪が真っ白になったとか・・
彼女にとっても子供達にとっても辛いたびだった事でしょう

パリに戻った国王一家が再び逃げようと思わないように
脱出不可能なタンプル塔へ移されます
実質幽閉されてしまった訳ですね

それからは国王一家にとって破滅への道のりでした
一市民としてルイ・カペーの名を与えられた
元国王ルイ16世の裁判が始まりますが
彼の処刑に賛成した表はわずかに1票差で勝っていたそうです

余談ですがルイ16世が処刑された日は
1月21日   私の誕生日です~!Σ(゚□゚(゚□゚*)
なんという偶然でしょう!?

もう一つ囚人に苦痛を多く与える処刑方法より
なるべく早く処刑が終るように考案されたギロチンですが
皮肉な事にルイ16世がその刃の角度が斜めになる方が
より早く処刑が済むだろうと改良にアドバイスをしていたそうで
まさかその時は自分が処刑される運命だとは思わなかったでしょう(^o^;)

お話を戻して次はアントワネットの番ですが
その前にもう一度悲劇が彼女を襲います(つД`)ノ
最愛の息子ルイ・シャルルと引き離され
同じ搭の中ですが別の階へ連れて行かれてしまいます

そしていよいよ運命の日がやってきました

続きは   また!

次回はいよいよアントワネットの最期の日です!

| 歴史斜め読み | 21:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

悪夢の始まり~マリー・アントワネット~

2週に1度の土曜日はじぃちゃんの通院日なんですが
今回は午前と午後と別の病院へ行く日で
その合間には駅前の薬局へ処方を取りに行ったり
お昼ごはんを買いながら近所のスーパーで
試食会があるので一回りして食べてきたり(え?)
他にも買い物をしこたま頼まれていたので
あっちのお店こっちのディスカウントストアと
か~な~りハードな1日でした~(´;ω;`)ツカレタ!

マリー・アントワネットは世間知らずで
物事を深く考える事があまり無かったのか
派手な浪費をしているのを窘められると
それじゃあ・・という訳でもないんでしょうが
今度は一転して牧歌的な・・というか
素朴な生活に憧れていたのかわかりませんけど
夫のルイ16世から贈られたプチトリアノンでは
田舎の暮らしさながらの畑や牧場を作り
お気に入りの友人達とお芝居の舞台に出たりしました(°_°)ナゼ?
使い方は変わったけれども莫大な浪費に繋がっているとは
夢にも思わなかったんでしょうね~

因みにこのプチトリアノンには贈り主の
ルイ16世でさえも勝手に入ることが出来なかったそうです

お忍びでパリの劇場へ遊びに行くのも
息が詰まるベルサイユでの王妃として
堅苦しい決まりごとに縛られた日常から開放されたいのでしょう
そしてアントワネットは自分が国民を愛するように
自分も国民から愛されていると思っていたんでしょうが
現実は・・・・・

重税に苦しめられた国民達はその憎しみを
やはりアントワネットに集中させていったんでしょう
そして王妃の言いなりになっているとしか見えない
国王や王室に対しても・・・・・・

行き着いた先はあのバスティーユ牢獄襲撃から始まる
「革命」だったんですね

そこから国王一家が破滅に向かって走り出します

続きは  また!

次回予告:いよいよ後半突入!逃亡から幽閉まで!

後半は週末辺りにできるといいな~(=゚ω゚)ノ

| 歴史斜め読み | 00:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

刺激と平穏~マリー・アントワネット~

今年中にやっておかなければいけない事と
残りの日数を考え合わせると・・・
寒気がしてくるのは気温のせいばかりじゃなさそうです~(T_T)

王太子(ドーファン)のルイと縁談が纏まるまで
写真が無かった当時に交換したのが肖像画ですが
国王ルイ15世が言った一言が要約すると
「女性は顔よりも胸が大きいことが大事」だそうです
う~~ん胸が貧しい私では失格ですね~(^o^;)
因みにマリー・アントワネットはとってもご立派な胸をお持ちでした

いよいよ結婚当日のエピソードですが
数多の人に祝福された豪華な結婚式ですが
結婚証明書にアントワネットがサインをした時に
インクが落ちて染みになったのが後の不幸を暗示していた・・・と
こういうお話はいくらでも後付け出来ますからね~

マリア・アントーニアには以後フランス語の名前
マリー・アントワネットになる訳です
いよいよ豪華な結婚生活の始まり・・・・のはずですが
実際はというと夫の身体的な先天的不具合があったので
その不具合が手術によって解消されたのは
アントワネットが王妃となった後・・なんと7年間
本当の夫婦生活が営まれることがなかったんです

ドーフィーヌ(王太子妃)の一番の使命は
いつの時代でも「お世継ぎ」を生む事ですので
長い間貴族達の好奇と憐れみの視線の中に暮らしていたんですね

そのイライラを解消する為でしょうか
アントワネットは浪費を続けるんですね~
ギャンブルに夢中になったり
贅沢な衣装奇抜な髪型に至ってはその天辺に
船の模型を乗せたり・・大きくなりすぎてしまい
馬車のモデルチェンジまでしてしまったとか(。Д゚; 三 ;゚Д゚)エエ!?

元々国庫が疲弊しているところへ加えこの出費
庶民はますます飢えていく事になりますが
そもそも貧困とか空腹とか縁が無いし
周りの貴族達も誰もそんな事は考えもしませんから
一概にアントワネットだけのせいではないんですけど
やっぱり「外国から来た王妃」という事で
国民の恨みが集中してしまったんでしょうね

それでも「本当の結婚生活」が出来るようになって
子供が生まれる事によってそれまでの贅沢三昧の生活から
「母親」としての喜びを見出すようになっていくのですが
それも「時既に遅かった」んですね(´;ω;`)
長男が夭折した時はその葬儀費用も無くて
王室の食器を売って捻出したそうです

続きは  また!

次回予告:フランス革命勃発!までいけるかどうか!?

| 歴史斜め読み | 00:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

王妃前夜~マリー・アントワネット~

いよいよ12月突入で残りも1月足らず
忙しい毎日が続きますが
我が家は今年も大掃除は・・・諦めましたわ~(´∀`*;)ゞ

今でこそ「日本史好き!な私ですが
思い起こせばその昔はご他聞に洩れず(?)
絢爛豪華なフランス王朝に憧れた事も
フランス革命に興味を持った事もありましたね~

先日特別展を観てきたついで・・・という訳でもありませんが
ちょっと「悲劇の王妃」とも言われた
マリー・アントワネットの事を語って見たいと思います!

マリー・アントワネットは神聖ローマ皇帝フランツ1世
オーストリアの女帝マリアテレジアの子供ですが
このご両親は政略結婚が当たり前の当時としては大変珍しく
恋愛結婚で結ばれているんです.゚+.(・∀・)゚+.
それも女帝のお相手として身分に相応しい
神聖ローマ皇帝の位に就いてからやっと結婚できたとか・・
身分の貴い方は結婚するのも大変なんですね

二人の間には子供が沢山生まれました
えぇ!そりゃぁもうた~~くさん!
5男11女・・・生みも生んだり16人(;゜0゜)スゲー!
マリー・アントワネットは15番目で一番下の女の子です
自国での名前は
マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
な・・・長い!しかも舌噛みそうだし覚えにくいし・・(^o^;)マイッタマイッタ・・

そしてご自分は大恋愛で結ばれたマリアテレジア女帝は
フランスのルイ15世の孫で後のルイ16世と
末娘のマリアを政略結婚させる事にいたしました

花嫁となるマリアがフランスへ旅立ったのは
たった14歳の時ですから今で言えば女子中学生ですよ!
身近な所では我が家のねーね は来年14歳なので
18世紀のヨーロッパでは結婚適齢期ですね((´・ω・`;))オソロシヤ
現代に生まれて本当に良かったです~

そして有名な逸話花嫁が国境を越える時に
自国のものは全てそれこそ着ている服から下着まで
全てフランス製の物に着替えた
という事ですが
これも今の感覚では驚きですよね~((((;゚Д゚)))))))イヤー!
だって警護兵の目の前で全部着替えるんですから

でも、当時の貴族の・・・というか王家のしきたりで
起きてから寝るまで全ての仕度が人任せで
自分はな~~んにもしないのが当たり前
だったら
当のご本人も周りの兵士達も
特になんとも思わなかったんじゃないかと思います

こんなこと言うとロマンが無いですけど
当事者達は案外ドライなモンだったんじゃないでしょうか?

続きは   また!

次回予告:新婚生活から子供の誕生まで書けたら良いな!

| 歴史斜め読み | 21:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

起死回生したかどうか?~元明天皇~

NHKで土曜日午後9時から放映している
「夏目漱石の妻」面白いですね~!
今年は漱石没後百年という事ですが
中々ドラマチックな内容になっていて
あと1回で終ってしまうのが残念ですね~(´・_・`)

元明天皇のお話もいよいよ最終場面(?)に向かって
後嗣問題についての大どんでん返しを語りたいと思います

元明天皇の跡を継ぐのは誰か?
文武天皇には正妃が居なかったので
宮子の産んだ首(おびと)が最有力候補ですが
石川刀自娘(いしかわのとしじのいらつめ)が産んだ
男の子が居たらしいので
首に決定した!という訳でもなかったのでしょう

そこで藤原不比等はどうしたか!?というと
石川刀自娘と同じ嬪(ひん)の身分だった
紀竈門娘(きのかまどのいらつめ)
突然その身分を剥奪されたという事に
当然関与していると思います!

そうしてライバルを排除していよいよ!という時に
元明の次女吉備の息子達に皇孫の待遇を与えます
こ吉備の子供達にも天皇位を継ぐ可能性を持たせて
譲位の発表をします    それは

元明の長女である氷高皇女
元正天皇の誕生ですね!

不比等はさぞがっかりしたでしょうね

何故元明は首ではなくて氷高に譲位したのか?
やはり「母方の血筋」を考えると
皇族の母親を持つ吉備の子供のほうが
高貴な血筋となりますけど
いくら皇孫の待遇であってもいきなりでは
あまりにもあからさま過ぎるので
長女の氷高に位を譲りその後は首が位に就いても
いずれ吉備の血筋のほうに
・・・と考えた?
あくまでも私の勝手な考えでしかありませんが。。。

この決定が後々で起こる悲劇に繋がるとは
元明は夢にも思わなかったでしょうね

蘇我の血を引くプリンセスは
その衰退と終焉を見なかったんですが
もしかしたら最後の輝きに向かって
時代が流れていくのを感じていたのかもしれません

| 歴史斜め読み | 00:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT