豆餅の食べすぎでお腹が張って仕方がありません
でも見るとつい・・・・ヤメラレナイ・トマラナイ状態です(T_T)
結婚早々から姑&小姑たちの冷たい仕打ちも
夫であるじぃちゃんは見て見ぬ振り?
いやっ、きっと気が付いていなかったのでは???
我が家のじぃちゃんはそういう所が呑気ですから。
そうこうしているうちに第一子の誕生です。
生まれてきたのは男の子でした。
イェモン家の長男誕生です!
この時ばぁちゃんが姑から言われた台詞が
「憎い嫁から可愛い孫が生まれた」でした
何とヒドい一言でしょうか!?
ワタシならこんな事を言われた瞬間に
子供を連れて実家へ帰ってしまいますよっ!
でも、そうなっていたら
ワタシはこの世に居なかったんだぁっっっ!!
で、次にこの世に生を受けたのがワタシ
いよいよイェモン登場です!
あんな酷い事を言われてもじっと我慢(?)してくれた
ばぁちゃんに感謝!感謝!ですね。
実はワタシがうまれる以前に堪忍袋の緒を切ったばぁちゃんが
じぃちゃんの家族との同居を解消して
近所にアパートを借りて別居していましたから
なんとかやっていけたのかと推察しています。
これ程じぃちゃんの家族に疎まれていた
ばぁちゃんが生んだ女の子であるワタシも言ってみれば「クズ同然」
先に生まれた長男は大事にされましたが
傍から見てもその待遇には歴然とした差がありました。
コレは僻みでも何でもなく全く本当の話です。
子供の頃には遊びに行っても
余りいい顔はされませんでしたから。
それでも自分には弟は5人もいるのに
妹はたった2人しかいなくて珍しかったせいか
じぃちゃんは女の子のワタシを可愛がっていたようです。
今でも可愛いのかどうか分りませんが(可哀相なのかも?)
一緒に面白可笑しく暮らしています。
さて、ワタシの幼少時代からのお話は
又いずれ機会があったらお話したいと思います。
今年も残す所あと月曜日一日出社すればお休みっ!
会社の年賀状も今年はトラブルも無く発送を済ませ
どうせなら今日から休みにしてくれればいいのに・・と思う今日この頃
我が家の歴史(?)もじぃちゃんとばぁちゃんが結婚して
その後・・・・・・と行く前に
気になるのが二人の馴れ初めですが、じぃちゃん曰く
上野駅で風呂敷包みを背負ってウロウロしていたから連れて帰った
そんなバカなっ!
そんなに簡単に我が家の歴史の貴重な1頁が???
詳しい事はじぃちゃんが元気なうちに
いずれじっくり聞いてみたいと思います。
憧れの都会人(?)と結婚できたばぁちゃんですが
世の中そんなに甘くはありません。
俗に言われる「嫁・姑戦争」があった模様。
長男の嫁として家庭に入ったばぁちゃんは
幼い弟妹達が学校へ持っていくお弁当から
職人達の世話もなにもかも一人でやらなければなりません。
肝心の姑はというと ←こんな感じのばぁさんでした
低血圧で朝早く起きられない とかで
毎朝遅くまで寝ていたそうです。
コレは行けず行かず後家の叔母もそうで
ワタシが記憶している限りでもよく寝ていました。
それでも頑張って過ごしてきたばぁちゃんは
ワタシにはとても真似できません!
生前は喧嘩ばかりしていましたが
今はエライもんだなぁとつくづく感じています。
そしていよいよっ!
続きは また。
毎年ギリギリまで出来ない年賀状。
今年はあとプリントするだけ!となっているので
余裕こいて遊んでいると、気が付けば
あと何日も残っていないので急に焦っています・・・
23日には必ずやらなければ。。。。。。(;^_^A
一家を支えて働きづめのばぁちゃんの母ですが
お嫁に来たら子供は出来る・・・という訳で
畑仕事の傍ら6人の子供を産み育てます。 でも
生まれたのは皆女の子ばかり!
ばぁちゃんは6人姉妹のど真ん中です。
小さい頃から畑の手伝いに妹達の世話と
当時の農家の娘として当然の生活をしていました。
お年頃になると長女は身内から婿取りをし
次女も地元で結婚相手を見つけその後夫婦で上京と
順当に行けばばぁちゃんも地元の若者と結婚したかも知れません。
でも本人は田舎がイヤでイヤで仕方が無い
地元で結婚するなんてトンデモナイっ! と
生粋の江戸っ子のじぃちゃんと巡り合ったのが
幸いだったのか?運の尽きだったのか?
続きは また。
クリスマスが間近に迫って来て
チビ達がおもちゃ屋のチラシを見ながら
勝手に選んでいる所を見ると
ただでさえ冷え切ったからだが凍りついてしまいそうです。。。
今回はばぁちゃんの御先祖様のほうを紹介します。
ばぁちゃんは栃木の農家の生まれなので
平穏無事で特色の無い御先祖様ばかり・・・・・・・の筈ですが
一人居ましたっ!
ばぁちゃんの祖父に当る人が無類の酒好きで
田畑を殆ど手放してしまったという
「小原庄助さん」(例えが古いねっ!)のような人だったそうです。
そこへばぁちゃんの母親がお嫁に来るのですが
田畑も無くなった所へ行くのは気の毒だと
実家からそれなりの土地を貰って来たようです。
その頃の農家で結婚といえば
自家の土地(田畑)が分散しないように大抵身内同士でした。
村中が親戚同士という間柄に近かったでしょう
嫁ぎ先は元々は小作人を使っていた大地主だったのですが
土地と共に人も当然居なくなります
それでも「働く」という観念がなかった義父とお坊ちゃん育ちの夫。
本当ならば玉の輿に乗っていたところが
自らが一番の働き手となって頑張る若き日の母親。
オンナの底力が垣間見えると思います。
続きは また。
学校や幼稚園はもうすぐ冬休み!
勤め人も殆どが秒読み態勢に入ってきました。
じぃちゃんの父親は「宵越しの金は持たない」という
根っからの江戸っ子だった為決して裕福な暮らしではなかったでしょうが
のびのびとした子供時代を過ごしたじぃちゃんでした。
ところが一転、知人に頼まれて印鑑を押したが為に
借金取りに追われるというドラマのような展開がっ!
かくして逃げるように(実際逃げて)転々と住居を変え
遥か葛飾の外れにたどり着きました。
加えて思春期には太平洋戦争勃発と
波乱万丈の青春時代を送っていたそうです。
友人・知人達が次々と召集される中
じぃちゃんは父親と「軍関係」の物を作っていたので
その家の人間は招集されないという特権(?)があったそうです。
戦後はお決まりの食糧不足でしかも大所帯。
勉強するどころか家族の為に
長男として父親と共に一家を支える毎日。
戦後の混乱も一段落が着き、生活も安定してきた頃
恋の話もいくつかあったようですが
その中で最後に残ったのが ばぁちゃん!
続きは また。
関東地方の今日は暖かいい天気で
お出掛け日和となりました。(何処も行かないけど)
実家の没落で東京へ奉公しに来たじぃちゃんの母。
深川辺りで働いていた所を父と知り合い
目出度く結婚!とあいなった模様です。
大正時代の最後の年に生まれた初めての子供
我が家のじぃちゃんです!
じぃちゃんにも赤ちゃんだった頃があるとは
子供の頃には信じられない事実でした!
父は所謂「職人」でお店のショーウィンドーの設計・施工
今で言う「インテリアデザイナー」?のような仕事をしていた様子。
じぃちゃんの手先が器用で細かい事が好きなのは父親の血筋でしょう。
何故かワタシには一つも受け継がれませんでしたが・・・・
その頃は上野の近辺に住んでいたようで
今でも上野・浅草辺りの地理には詳しいです。
これも方向音痴のワタシには一切遺伝していないという皮肉。
そして次々兄弟が生まれ 職人として弟子も居た
らしく
賑やかな子供時代を送っていたようです。
そんな子供時代に一つの事件が!?
続きは また。